雑記

週6日の早朝労働というひどい仕打ちを受けて、身も心もくたくたよん。
「最近の文章おかしいよ」と田村君に言われてしまいましたが、そんなの当然さ。頭のおかしさに見合った文章を書いているのだからね。

あたまがおかしいついでに言っちゃうけどさぁ、ミスコン問題が頭から離ない。特にこのような慶応ボーイが「むかつく」。独りで女の品評会なんて開いているけれど、一体何がしたいのだ?え?おれには女を見る目があるんだとでも言いたいのだろうか?でも、貴方のおっしゃることに品位が無いですから。残念。
医学部のぶさいく、歳をくっている、おばさんみたい、顔濃すぎ、云々。
この日記で行われているのは、美しいとは何かについての議論(この議論だって客観的美などないのだから不毛なものだと私は思うが)ではなく、俺の好みはこういう女だと恥ずかしげもなく述べているだけですよ(自明でしょうし、わかってやっているでしょうが)。そのような主観的な好みを他者に伝えるには、具体的に女を挙げ具体的に美しさとは何か(自分の好み)を提示するのがてっ取り早いし、そこに問題はない。しかし、好み以外の女を具体的に挙げて具体的に斬り捨てることによって自分の好みを表現する必要はないのではないか。そうする権利もないのではないか?ミスコンに限らず、そうおもう。
確かに、本人に伝わらなければ中傷や非難したってよいだろう、と反論されるだろう。そうだ、本人に伝わらなけれで良いよ。しかし、このような顔に対する批判を見聞きすると、私は、いつでもどこでも私を見た人から非難中傷される可能性がある存在だということを再認識させられるという意味で、人間は内面が大切だと割り切れない私は見えない視線に恐ろしさを感じる。もっと言えば、拒食症・過食症などの摂食障害の理由の一つがこういった外部の評価への固執にあるということからも、「痩せている」ことが美しいなどの絶対的な美への価値基準を示すことにも注意が欲しいものだと、特にメディアが提示するトレンドに対して思う。

まったく、気楽な男だ。
顔やスタイルなどの外面に優越付けたがる人、評価をつける気分について教えて欲しいです。一体何を求めているのだろう?