6月30日の続き

最初はCGかと思った。CGで粉々になった金魚たちの表現をするならば巧みだったと思う。けど、生をつかうなよ。そういう嗜好があるのは勝手だけど、見世物じゃないっつうの。楽しているだけじゃん。

子供のころに大型熱帯魚用の餌として金魚をやっていたために、死ぬために生まれてきた、死んでもいいと確信していたそうで、今現在は確信だけが残ったんだってさ。イメージが増幅されたんだってさ。子供時代よりたちワルッ!

作品の意図
〓人間は生にランク付けしていることの象徴。加工途中のグロテスクな場面を見ずに食す人間への非難。〓金魚は”餌”としての認識が薄いので、命の尊厳を感じさる。金魚により生命に対するゆがんだ「倫理観」を象徴。(本人は人命最高ー!なんだって)

を、目的としているそうで。〓で動物愛護の精神をちらつかせといて、最後のしめで、”生命”に対する倫理観を、”人命”に対する倫理観に刷り返し、結局作品とは無関係に感情(死刑賛成、犯罪者には厳しい制裁を、弱者だからといって手抜きするな)を吐露して終わっていった。支離滅裂ね。

アホ程メールが届く、HP開設を開設して早6年こんな反響は初めてである。殆どが反対意見だがあくまで個人的な事、当然であろう、大いに語ってもらいたい。ただやたらパクリと言われるのが妙に気になる、疑わしいと思う方は1993年のパルコアーバナート#2のカタログを見てもらいそのパクリの元と称される作品の発表時と見比べ検討してもらいたいものだ。(本人のHPの日記より抜粋)

ああ、しかもデンマークのほうが先にこの金魚ミキサーをやってたんだね*1

作品のメッセージはまったく違うけれど、使ったものは同じだ。違うもので表現できたはず。ぱくりだね。
ほんと、いやな気分。
最初、この日記の題を『衝撃的』としてみたけど、『呆れた』にしたい。

*1:この時は10台のミキサーの中に一匹づつ入れてあって、コンセントに電源が入っているかどうかを知らせずに、お客さんにスイッチを押して確かめてみるかどうかを迫る、という展示だったそうよ。