扶養

学生という身分は、特に大学生は、社会的には成人であるということで前にも後ろにも進めない状態であると思う。その根本的な原因は、はっきり言って、金(自ら稼いだ金)がないためだ。精神的な自立はとっくになされているのだから。

学生結婚を考える前に、まず、私の『扶養』に対する考えを提示したい。

私は、私という存在について、親と金と自分との関係で捕らえている。

        
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私                       両親
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[図1 扶養におけるフロー]

『私』はある行動がある価値を生み出すことが期待できる可能性が高いことを示すことによって、『両親』にその行動に対する投資をしてもらう。そしてその投資が当たれば(私がその投資を有効に利用し、価値を生み出せば)両親には「喜び」「安心」「期待」といったソフト面での利潤と、実際に金を得ることができることもある。 

つまり『私』とは、配当金が直接ではなく間接的に投資者に配当される株である。

利己的で実現性のない夢に、親は無条件に支援するなんてことはない。