披露宴って儀式?

★結婚披露宴は絶対やるべきらしい(テクストによる恋愛放談より)

Nozzeの広告ページでの記述、「結婚したカップルのうち、披露パーティーをした人としていない人では、明らかにしていない人のほうが離婚率は高い、というデーターがあるとのこと。」を受けてのコメント

私が思うに、結婚披露宴という大変な儀式を執り行うことによって、結婚前と後との線引きがはっきりできて、新しい生活に入りやすいんじゃないかな。儀式というのは、結婚式にしても葬式にしても、それなりのイミを持っているもの。「堅苦しいから嫌だ」「お金ばっかりかかって・・」と思うのは浅はかじゃないかな?(昔、私もそう思っていた) もちろん、そういう儀式の持つイミを完全に理解した上で、儀式を否定するのはアリだと思うけどね。とっても難しいと思うけど。(苦笑)

で、考えたのだけれど、あれ、披露宴って儀式だっけ?
結婚式は?儀式?なんでしょね?
とおもって調べてみたらすぐに出てきた、結婚式導入以前、以後の史的背景が。
「文化としての婚礼」http://www3.ocn.ne.jp/~nw21/rekisi.konrei.html
『婚礼辞典』http://www3.ocn.ne.jp/~nw21/ より)
これから披露宴について簡単にまとめると

  1. 【江戸時代】武士は「嫁入り婚」庶民は「婿取り婚」。神前結婚式、披露宴はまだなく身近なものだけの祝宴がある。
  2. 【明治時代】文明開化の政策の一つとして婚姻法、神前結婚式の誕生。*1
  3. 【明治時代】明治のエリートによるヨーロッパ形式のパーティと洋食正餐の練習の成果を兼ねての都市ホテルでの披露宴。一般国民には浸透しない。
  4. 【戦後】明治期からのエリートと一般国民の関係は変わらず。
  5. 【昭和40年代】中流意識を持つものの増加。神前結婚式と披露宴のセットというホテル産業の商品が浸透、理想のスタイルへ。その後自治体を中心とした公共開館や冠婚葬祭互助会による施設のチェーン化、専門式場の誕生で地方にも浸透。<ブライダル産業の成長期>
  6. 【いつ?近年?】チャペルウェディング現象とともに、戦後から50年近く続いた神前結婚式の衰退


この文章のまとめが個人的に好き。

 明治維新以来婚姻の文化を日本の伝統に則して論じるということをしなかった反省をしなくてはならない時期にきているように感じます。日本には明治以来数多くのミッション系の教育機関が作られ、教会の数も増えています。しかし、キリスト教信者数は明治以来一パーセントと変わらないそうです。
つまり、日本人はキリスト教を宗教として受け入れなかったということです。そんな中でチャペルでの結婚式だけが増えているのです。この現象を作り加速させたのがゼクシーというブライダル情報誌です。江副という政治事件を起こした人物が経営するリクルート社が発行する月間情報誌です。
その情報誌が作り出したブームに合わせてブライダル産業が全国に街の教会よりも豪華なチャペルを作りチャペルブームを過熱させているのです。
そろそろ日本の文化や伝統を考慮した婚礼文化を真剣に考える事業者やメディアが登場してもいいのではないでしょうか。


以上、披露宴、結婚式が誕生するまでの歴史でした。
どうでしょう?
披露宴、結婚式はそれが誕生した当時から今まで、他者の目を意識しながら形式的に行っているということに気づく。明治なら欧米諸国に近づくために、戦後なら上流階級に近づくために、現在なら皆にうらやましがられるようなワンランク上の結婚式をあげるためになどなど。そのような私的な目的で行われていると行事ごとに、社会的意味を持たせるのは、単にその行為の内容が「結婚」だからではないかと思う。なんだか意味のないようなことを言っているように思えるかもしれないけれど、「結婚」に付随する何らかの神聖さを引き受けながら、単なる宴である披露宴を「結婚前と結婚後の線引き」などという儀式にまで神化させてしまうのだから。まぁ、そういった儀式の意味があるとしても、自分たちの儀式なんだからさ、来賓から貴重な時間と金をとって見せびらかさなくたっていいのだからさ。
って思うと、やはり披露宴の内実は儀式としての意味を見出している人にこそ、不純な動機が沢山あるように思えるよね?ねぇ?

っと、ちょっとひねくれてしまいたくなりました。

*1:神前結婚式誕生の理由は定かではないというが、『<恋愛結婚>は何をもたらしたか―性道徳と優性思想の百年―』から考えられることが多いように思える。Key:キリスト教、契約、神道天皇