旅の記録

初めて青春18きっぷを使って旅行をした。
東京→広島→福岡→神戸→大阪→京都→名古屋→東京 という行程で6日間旅行。
列車に揺られて移動するのはいいものだ。景色を見て、本を読んで、勉強して、会話して。非常に心穏やかになれた。乗れば必ずといっていいほど酔ってしまう、密室で重苦しい雰囲気がする車より何倍もいい。
ただし、東京から広島へは15時間、広島から福岡へは6時間というように、大変移動時間がかかるため、それぞれの都市の見所を押さえるだけの慌しいものになった。路地裏を覗くような、のんびりした旅行をしていれば、また感想も違ったものになるかもしれないが、どの都市も同じデパート、ブランド、チェーン店が並び、むしろそれらは東京よりも洗練されており*1、いいかげんそういうものにはうんざりした(我がままな「観光客」ですね)。
新しさという刺激に慣れてしまった都会の人は、今度は古さを求めて京都に行く。古いものほど新しい。歴史に触れるたびに何度も何度も精神的な旅を経験できるからだ。時間や歴史は何もせずにそこに在るだけなのに、こうも自分に訴えかけてくるなんて、本当に面白い*2



最後の日には、名古屋で噂の愛知万博を見に行った。
色々な感想があるが、まとめると、百聞は一見に如かず、だったということ。

  • 食べ物は高くない。

飲み物はカップのジュースの自販機で100円、ペットボトルも150円、たこ焼き屋、らぽっぽ、ピザーラ、その他多くのチェーン店が普通の価格で出店している。買うのに長蛇の列はない。公式参加国や、国際機関が、出展する展示空間(グローバル・コモン)では、それぞれの国でその国の料理が食べられる。これもそれほど高くない800円前後。万博に来て作ってきた弁当や、コンビに弁当を食べたがる人もいるかもしれないが(全期間入場券を買っている人は、仕方ないかもしれないが)、そういうことは別の機会にして、是非とも万博を満喫してほしいなぁと思う。

  • 混雑の程度は場所によって違う。

企業のアトラクションでは入園30分後には予約券もなくなり、すでに2時間待ちのところもあった。仕方ないので、展示のみを見ることにした(それが目的だったからいいですが)。すると、なかなか面白い。ちゃんと展示などを見たら確かにとても1日では回れないほど、それぞれの場所の内容が濃かった。しかし、思ったよりも人が少ない。せっかく来たのに、見れない又は見ないなんてもったいない。

  • 瀬戸日本館の 群読 叙事詩劇「一粒の種〜響きあう知恵の記憶、わたしがはじまる。」

奇妙な気持ちになった。
他の人はどのような感想を持っているのだろう…
他の日本館は見られなかったのだが、それらはどうだったのだろう…

  • また行きたい。

今回は時間の関係でわずか5時間しかいられなかった。また、人びとが飽きたころに行ってみようと思う。次は是非とも、今回怪我で断念した、死海の体験をしたい。




[終わりに]
もう、遠くへ遊びに行くこともないだろうと思いながら、気合をいれて旅をした。
毎日漫画喫茶で寝泊りをして、金のかかることはせず、ここでしか見れないもの」を見ることが非常に貴重な体験のように思ってひたすら街を歩いていた。歩くのは楽しい。でも、旅が終わった後、旅が自分にとって、大学最後の旅行という「事実」しか残っていないならば、非常に悲しく、むなしいことだと思った。経験自体が事実で終わらない、つまり、旅をすることが目的ではなくて、成長のための道具にしたいと思った。
そのためには、見て、感じて、考えてといった問いかけが必要であり、さらに旅の後も自分の中に息づくものであってほしい。そこで、そういった心の動きにを文章にする代わりに私がみた景色を写真におさめ、その瞬間を自分のものにしようと思った。思い出に浸ったりなどの過去を振り返ることが嫌いで、過去のことはすぐに忘れてしまう私にとって、こういった試みは初めてのことで、これまでで初めて瞬間というものを大切に思った(それまでに葛藤があったが)。
旅は私に足りないものを見つけるための、道具となった。

*1:例えば西日本のマクドナルドの店舗は非常におしゃれなものが多いです

*2:伏見稲荷神社の参道はちょっとした山歩きができます。私は5時〜6時に夕立の中歩いたのですが、参道中にずっと続く鳥居とわずかな光が暗闇に良く映えて、非常に美しくもあり、恐ろしくもありました。おのずから内省的になり、私にとって山歩きの最中の感情や精神状況が、正に人生においてのそれと一致していることに気づき、そこから色々と教訓を導くことができました。単なる山登りではなく、神社という場所だからこそ体験できたことだと思います。