ニートのことはニートに聞こう。

今話題の内田樹の研究室: 資本主義の黄昏を読みました。
まとめてみました。

[A]
「労働」とは元来「個人が自発的に演じるものではない」(労働は非合理的)
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ゆえに「仕事」も同様に非合理的(「仕事」は「とりあえず何か余計なものを作りだして、他人に贈る」という「非等価交換」)なものであり、やるかどうかも、やる意味も説明できない。


[B]
NEETは「合理的に思考する人たち」
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「「合理的思考」は、彼らを扶養している親たちの「非合理的な」子どもへの「愛」や「有責感」に依拠している。」
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しかし、「自分は「他者からの贈与」に依拠して生きているが、自分が「他者への贈与」の主体になること(それが「労働」ということの本質である)を拒否する。」
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「やらずぶったくり」…非常に「合理的」な経済行為であるが、資本主義を超越している。


[A][B]より
「NEETの諸君にどれほど資本主義的な経済合理性を論拠に学習することや労働することの肝要であることを説いても、得るところはないだろう。」
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学びと労働の必要性を功利的な語法で説くのではなく、「それとは違うことばで学びと労働の人間的意味を語ること」が必要。

引っかかる点がいくつかあります。時間がないから自分用にメモするだけにしておきます。

  • 「労働」が本当に非合理的なものなのだろうか。原始的な社会であったって、学習によって、木の実の収穫を無計画に採集していたとは思えない。狩猟についても、合理的に収穫する方法(道具の使用)を求めて行ったのではないか。
  • 労働が非合理的なものならば、「労働」と「仕事」を同一視して良いのだろうか。「個人が自発的に演じるものではない」といのは、その起源をたどった時に行き着く結論であって、今現在「仕事」をしている人に適合しないのではないか。
  • ニートニートをすることに対して合理性を本当に感じているのか。(それならば、こぞって社会や学者らが問題化する必要ないのではないか。)
  • ニートの考えていることは、まず、ニートに聞くべきだ。