9月24日「女は男を批判してはいけないし、批判できない。」に対するコメントを読んでの感想など

元ねた→「女は男を批判してはいけないし、批判できない。」

言及先は以下の通り。

<25日>

<27日>

前回の投稿のまとめ

さて。

「女は男を批判してはいけないし、批判できない。」を見直すと、
”女性は男性に対する憧れと憎しみという感情の間でアンビバレンスな状態にいるため、男性を批判してはいけないと思っている。”
ということだったんだけれど全然分かりにくいょ。”アンビバレンスな状態”と”批判してはいけない”との間の説明が抜けているし、そもそも不安定な感情の背景が抜けている。
改めてまとめると…

権威としての「男性」とそれの傘下にある「女性」という構造によって、「女性」は「男性」の権力がもたらす言動や功績に”憧れ”を抱くと共に、自分たち「女性」は「男性」の権力にさらされていることに対して”憎しみ”を感じている。
しかし、「女性」は「男性」と同じのもの(権力)を求めてはいけない。一つの性が持つ権力を二つの性が支配してしまっては権力を行使する対象がなくなってしまうのであり、それは権力ではなくなってしまうから。
よって「男性」に対する「女性」の気持ちは「憧れ(同一化)と憎しみ(怨み)の両極を絶えず振り子のように揺れ動くという、アンヴィバレンスな状態で常にある」。
だから、男性を批判するということは、翻って憧れ(同一化)を抱く自分をも批判することとなるのであり、アンビバレンスな状態にいる女性にとって「批判」すること自体不可能(してはいけない)のだ。

となる、のであった…

感想

上の言及先は、私の文章(とは言っても、私の完全なオリジナルではなくてフェミニズム批評の分析に負うている)に対して言葉を補ったり、展開させたりして、個々の日記で独自の有意義な検討がされているので、もはや「自分のエントリーに対する批判や意見」として捉えることはできない。

ただし、『次世代情報都市みらいBLOG』「男性もジェンダーの再生産に加担する」のみは、私の文章に対して真正面から考えて、そして、私がやらなかった現状の検討を行っている。私よりもきちんとした文章なので、こちらを参照していただきたい(何も私の意見を私がここで書く必要も無いよね。ネットという知の共有の場では。)。


だから、感想だけ述べておきますね。

この文章は、私が「批判」と言うときに、人に対する批判と、人が発した言葉に対する批判とが区別されていないことを指摘したもので、この意見自体とても理解できるし、区別が必要ということは同感です。
でも、私の主張では、そういう分離は不必要なんです。むしろ、人と言葉を分離しては話にならないわけで。

実際の批判行動についてご自身の経験を交えながら考察。批判に伴うコストに注目している。

「批判をする時に男性も女性もない」と第一に考えているけど、批判する時には様々なコストがある。
(中略)
相手を見極める、批判を書くといったコストを有効に利用したいと考えた時に、性差を見るという行為を自分は否定しない。

誰に対しても同じような口調で批判を行うのではなく、コミュニケーション方法の違う人と(無理にやり方を押し付けずに)住み分けをする、あるいは合わせるということが、最もコストが低いということなら、まだ理解できる。「楽をするために性差で判断している」というのは「批判をするときに男性も女性も無い」という前提に抵触しないのだろうか?批判対象の文章の形態や語り方や単語やコミュニケーション形態などから、それに合った対応はできないのだろうか?(いやできる。)
(単なる自分の中の感想だが)やはり、ことさら文章に書き手の性別を見出すのは好きではない。文章の「性別」を見出すのは面白いのだけれど。

こちらもご自身の経験や見聞きしてきたことからの考察。
私の「なぜ、女性は男性のブログに対してコメントしないのか」という一文に対して

それは男性から嫌われたくない、うるさい女だと思われたくない、男性陣から叩かれたくない、からではないだろうか。今日最初に書いたエントリから援用するならば、その態度は「計算高い女子」のものであり、そのこと自体はネット上で生き残っていくための戦略ともなる(例えばchidarinnさんやid:bonちゃんのように、私の日記を見てはいるけどアンテナには入れていない人は、自分が同類だと思われたくないからか、私の激しすぎる自己主張が気に入らない(嫌いだ)からだろう)。主張する女、批判する女は、卑怯な男性陣や気の弱い女性陣によって2ちゃんねるなどで大げさに叩かれ、居場所をなくしていく。

男が主張する女、批判する女をこっぴどく批判することで、他の女をも戒め、同時に主張する女と「ぬるま湯に浸かっている女性」との間に境界線があたかも自ら引いたかのように引かれる。両者の違いは男と真正面から睨み合っているか、背後に据え置くか。jituzonさんはちょうど、その罠に引っかかっているように思う。「ぬるま湯に浸かっている女性」もおんなじだよ、ってラディカルに言ってみる。




以上です☆