酒の話のついでに

母の話を。
いやぁ、父がですね、年度末の業務のストレスからでしょうか、最近毎晩のように晩酌をするためか、元々大きなイビキが益々大きくなってきています。その一方、母親は更年期障害が年々進行するにつれて眠りも浅くなってきているわけで、イビキに対する感度は若かりしころよりも高くなってきているようなのです。そんなの一緒に寝なければいいじゃないか、と言う問題なのですが(ほんとそういう単純な問題)、なぜーか母親はイビキを家族の「イビキ問題」にしたがるのです。ね。不思議でしょ。
今朝、父のイビキに耐えかねた母が「座敷をお父さんの部屋にしたい」と家族に提案したのですが、皆、仏間のある座敷を個人の部屋にするということの不便さや都合の悪さを考えて返答に困っていると、「人の気持ちを分かっていない」と怒り出しました。
で、「皆(ちなみに、私妹祖父母のこと)、お父さんと一緒に寝たことがないからこのつらさが分からないのよ。一度一人ずつお父さんと寝てみなさいよ」と詰問調で、ひどく叫ぶので、うつむく祖父母がいたたまれなくなった私は、「人が嫌だって言うものを勧められてもしたくない」「体験したところで解決にならないよ。」と言うと「皆私のことを考えていない」と、嫁に来てからのつらさに及んで「家族に理解されていない自分」について語るのですが…。
改めて「理解される」(とりわけ家族に)って人の精神の安定にとって重要だなぁと、非常に単純ですが、そう思います。今朝の件は、ひとつ共感があれば事足りてしまうことだったと思うのですが、その一つの共感がなかっただけで、こんなにも取り乱してしまうのだから。
それほどに、理解されないということで苦しんできたのかと思うと、私は、少なくとも子供として話を聞かなくてはならんなと思うし、そして今までも思ってきたわけですが、しかし祖父母の権威が弱くなった今では、祖父母が母の攻撃の槍玉にあがることが多いため、私は両者の間に立たなくてはならず、益々母親の理解されないよという嘆きは大きくなってゆくのです。ただ、彼女もジェンダー論を私から刷り込まれているので、その辺の部分では以前よりも頼もしくなっていますが。こんな子供に励まされたりするよりも、できれば、母親に同じような境遇の友人と同じ悩みを共有できればよいのになと、子供心に思うのです。