日記を書かない人の気持ちがよく分かる。

自分で設置しておいて一度も触らない、当日記のサイドバーにある、プルダウン式のカレンダーを下まで下げてみると、始まりは2003年の5月だった。5月の何日からはじめているのかは知らないが、とりあえず、「好奇心が強いわりに飽きやすい私が、よく3年間書きましたね。」と他人事のように思う。わざわざ「他人事のように」といったのは、自分が日記を書く動機が純粋に心情、あるいは内外に対する私の意見を提示したいという自発的な動機というよりも、このネット上に書くという行為そのものと、それと相互関与する周囲の反応や言葉の普及といった事象が興味深く面白いからという、少しの期待を含んだ受身的で後発的な動機によるものだからだ。日記を書き始めたころのように、書きたいことがあって、それに動かされて書くという純粋さもほしいところだけれども、3年もBlogというシステムを使い、というかそれほど使わなくとも、一旦そのコミュニティの中に入ってしまうと、他人の反応に気を配る、というか、下心が出てくる。なんでもそういうものだろうけど。
最近は日常が忙しくて、始終そのことに頭を使っているため、別のことに使うとしたら、実際に友達と話すか何かしたほうが、有益に思う。もう、自分の中にこもりたくないというか、(勉強しかしていないので)こもるほどに自分の中には何もないというか。そう、勉強のテーマ意外は何もない。自分の中にあるのは、恥ずかしい妄想くらい。
だから日記はほとんど書かない。書いていない。
同時に、いつもなら一読者として皆の日常を垣間見たり情報を得たりするものの、最近は自分が日記というコミュニティに参加していないために疎外感すら感じてきてしまうわけ。
なので、結局、
書くことの動機のもう一つ、意地のような義務感が、こうして私を書かせるという。
とりわけ、ブクマは改めて恐ろしい存在だと思う。ブクマを見るのも見ないのも、ブクマするのもしないのも、関係なく、ブクマがあるから、恐ろしい。
1番目の動機が反転したこの動機が、今一番強い動機になっている。
何も頭の中にはないって言っているのにねぇ。
酷なものです。
とまぁ、気楽に書き出してくると、結構楽しくなってくるもので(最初の方は何を書くのかを決めずにじりじりと書いていた)、心に浮かんだことをそこはかとなく書き付ければいいのか。先人はすごいなぁ。なるほどなるほどと、睡眠不足の鈍い頭の変わりに指が適当にタイプしてくれている。
ああ、指、もういいもういい。

日常に戻らなきゃ。
一人遊びはたのしいね。

そうだ。
■私信■
先に言っておきますが、明日の研究会期待しないでください >youlalaさん

ではでは。また明日。