集中講義

一日拘束されてしまった。
そして延々脳死について考えた。
かなり重い。私はじぶんが脳死状態になったら、延命装置などはずしてほしい。殺してほしい。もうそれなしで生きられないのに無理に生かすのは自分の体を酷使するようだし、お金もかかるし、生きてても意味ないので。
しかし、自分の家族や第三者にとっては違う(心臓が動いているのだから生きていると見なす)んだよね。それを考えていなかった。個人主義、自己判断とかいうけれど、死という状況に直面したとき、結構その考えは揺らぐ。自己中心的に思えてくる。だから、家族が脳死を認めたくないのならば、それに賛成したい。脳死と判断したことで『実は死んでいなかったのではないか』と後悔したり、『今も生きている気がする』と死を肯定できずに苦しむのは、後に残されたものなのだから、遺族にとって気持ち的に一番いい方法で自分を扱ってほしいと思った。