相手と自分に共通であるように見える物事を、相手の文脈から引き剥がして自分の文脈に即して解釈することが多い(概念や法律のような時間的、空間的普遍性を必要とするものの場合は、特定の文脈を想定せずに、公開オペのように開いて突っついて検討することをよしとするけれども)。また、歴史があるということは、同義反復になるが、今後も変更可能性を持つことなのであって、現在の姿やあるべき姿が絶対的なのではない。ゆえに、それを強要したところで文脈にそぐうことはなく、非現実的な議論に終わると言えるのでは無いだろうか。(以上メモです)