結婚式について

今、結婚式の欺瞞性について考えている。
けれど、今までこういった検討はなされているのだろうか?
どうしても結婚式が一般的に喜ばしいものとして受け入れられているがために批判が加えられない状態にあるのではないだろうか。
というわけで、わたしも一つジェンダー的視点から考察したいところなのだが、バッシングを受ける可能性が大で恐ろしく思ってできないでいる。

ちょっと話はずれるけれど、最近保守派の意見が恐ろしい。左翼的、共産主義的な意見を恐れる保守派(いままでの日本の家父長的な家族を懐古する人、女らしさ男らしさを普通と考える人も含めて)だが、しかし、その非難の仕方や正当性の証明方法は、逸脱した考え方を徹底的に排除する方法をとっている。まあ、確かに今まで信じていたものの正当性が揺るがされるのは誰だって不安になる。

いまや結婚式の意味を問い直すことはないのだろうか。
ライフスタイルに合った新しいタイプの結婚式や披露宴が登場しているが、その儀式の効能は変化していないように思える。
つまり、出席者全員が家父長的な家族観を無意識的に確認し、内面化する儀式ではないかと思う。
だって、花嫁が『料理の修行中ですっ(ハート)』とわざわざ公言してしまうほどなんだから、面白い(料理くらい子どものころから男女問わずやりなさいって、と思う。)。

まだ結婚式についての考察は企画段階なので、ちょっと資料収集しようと思う。