エロティックは外へ

産業化により働く場と生活する場所である家庭が分断した。
公=男/私=妻・母(注意:女ではない)というジェンダーによる区分に付随する属性はセクシュアリティを生み、その作られたセクシュアリティによって区分が自然のものと認識される。
家庭とは生殖、再生産の機能を持つ非性的な場所であって、そこにエロスはない。
エロスは「女」にあるもの。「女」とはブルジョアジー家庭以外の女(職業婦人、植民地の女、など)のこと。ドメスティック・イデオロギーの成立。
よって、男は女を求める。エキゾチックな魅力を持つ外の女にエロティックを求めて。
じゃぁ女はどうするのか?
女は公私の区分によって家庭に与えられた『ブルジョア』イメージを保持することを誇りとするので、進んで母親として、妻として貞淑に振舞うのだ。
ここに見られる男と女の異なる階級間でのエロティック、ブルジョア夫人の階級への憧れなど、ここでは階級というファクターが効果的にエロスをつくりだしていると思う。


実際の夫婦間が全てこういった構図ではないけど、これが当時の婚姻と近代化のメカニズムなんだね。