妊娠や中絶ををどう考えるか。

妊娠中絶は「赤ちゃんを殺すこと」?(テクストによる恋愛放談 より)

上記の記述は、日本家族計画協会クリニック所長 北村邦夫のコラム『第11話 悲しいけれど』*1に対してのコメント。


北村さんの
「中絶を「赤ちゃんを殺すこと」などと物騒な言葉を使うことがとても気になります。」
外国の新聞記者の
「中絶が行われた日をひとときも忘れずに、水子供養を繰り返すという老女を取材し胸が熱くなりました。日本の若い女性達がセックスをした直後から『赤ちゃんができたらどうしよう』と大騒ぎしているのと関係があるのではないでしょうか。英語では、妊娠を継続することを決めたときからが赤ちゃん(baby)、それまでは胎児(fetus)と表現します。実体さえないにもかかわらず『赤ちゃん』という言い方はないでしょうに・・・」

という話から、そこに「生命は人間の意志によって作り出すことができるのだと」いう確信を見出し、
生命に対する畏怖の念があまり見えないのはよくないという。


そして、

中絶は「赤ちゃんを殺すこと」だと思う。しかし、単なる殺人と異なることも少なくない。そこをよく考えてみるべきだ。

という。


母体と胎児どちらに注目をおくか、
そして、
たとえ避妊しても妊娠をすることはあるという考え方と、避妊を絶対視するため妊娠は避妊をしなかった人のせいだという考え方によって中絶に対する考え方が変わってくるのだと思う。


私の考えとしては、どうしても母体に注目したくなり、そして、望まない妊娠はありえるという見かたをとる。
母体に注目するのは、北村さんとほぼ同じ理由から。母体あっての胎児だと思う。
また、たとえ産む気が無い上に避妊もしていなかったとしても、妊娠した時点での女の判断が尊重されるべきだと思う。
避妊しても妊娠して出産しても、結局様々な負担するのは女なんだから。
中絶は人殺しかどうかは、胎児(多くが胎芽だと思うが)が人かどうかという倫理的な問題になり、私にはこうだと言うほどに何かを知っているわけではないので、その点については言及しないが、
金銭面・精神面・生活面・社会面などなどにおいての中絶のリスク、出産のリスクがあるのであって、バースコントロールをするとか、避妊をすることなど、自分の身体や生活に主体的に向き合う必要があるという立場から、中絶は極力起こらないことが望ましいと考える。





P.S.私の実感に基づく意見ですが(あ、批判しないでね)、胎芽なんて決して人ではないと私は思います。
  やっかいな異物です。エイリアンです。

*1:※北村さんは「中絶をモラルとしてではなく、女性の健康を保持するための選択肢の一つとして位置づけています。」「仮りに妊娠が起こったとします。胎児が順調に成長していくのに重要な役割を果たしているのは間違いなく妊娠している女性そのものです。としたら、その女性がいい状態を維持することができないとしたらどうでしょう。胎児の生存さえ危うくなると考えるべきです。いい状態を、「身体的、精神的、社会的に完全な状態」という世界保健機関の健康の定義に当てはめて考えたとき、精神的にも、社会的にもまだまだ未熟である女性が妊娠した場合、やむを得ぬ事情で妊娠を中断せざるを得ないことがあっても仕方がないというのが、私自身の中絶観です。」としています。