頭が痛くて眠れません。

やあ。鼻が詰まって呼吸が出来ないし、鼻が詰まって頭が痛いし、鼻をかみすぎて鼻の下は荒れて痛いし散々だね。
暇だから日記でも書こう。そうしよう。※くだらないことだけ書くから、「続きを読む」というモードに切り替えです。


本日id:idiot817が放火大学院に合格したそうで。よかったね。
一方自分はこの日記では進路について、とりわけ入院について一度も語ったことが無いのだけれど、それは既に入院が決定しているのではなく、単に入試が来年ということで。つまり未定なのです。


未定なくせに、毎日日記とか書いて、バイトも4時間×週4〜5日入っていて、そのほかにもう一つバイトを持っていて、毎日1時間くらい歌っていて、睡眠3時間未満で、よくもへらへらと「院にいくんだー」とか言っているなと、このこの神経の麻痺度合いに驚きを通り越して、立派に感じてしまう。


さて、なぜか。それは、職業に対して非常に楽観的で、というのも(もしも自分の希望する職業につけなかった場合)自分の性質を考慮してゆくと極限的には何の職業でもいいと思えるから。専業主婦でさえやるだろう(やりたいかどうかは別)。負け惜しみとかではなくて貧乏でかまわない。トラックの運転手にあこがれている。パートでもいい。そもそも適応能力が高いのだ(其分、ストレスもあるけれど、それは好きなことをやったとしても、そして誰にだってあることでしょう。)。生きてゆくため、金を稼ぐためだったら、どのような仕事でもいい。自分は変わらないつもりだから(しかし疑問が残る。それは確固たる自分、核としての自分というものは存在すると考えているからそう言うのか。しかし自分と職業などの属性との関係や影響性について無視せざるを得ないのではないか。そしてそれの程度は?自分は変わらない、というよりも、自分の周囲が変わってしまってもその状況を受け入れる「覚悟」が今の自分にはあるということを自分は言いたいのか。そうかもしれない。将来変更可能性を秘めた言葉である「覚悟」や「決意」が適切であろう)。


こんな調子だから、親は、何のために大学に行かせたのか、などという。が、そもそもこのご時世、高校から大学への進学率は約5割で、大学出なんてごろごろいるわけで、なにも大学卒が売りになるわけでもあるまい。むしろ女子大という肩書きが就職を阻むことがあるというのに。それでも親は”良い職”(=公務員)にさせたいという強い願望を持っている。そしてまともに就職できないなら結婚しろと二者選択を迫る(闘牛とか馬に似ているね。うまく走れない、戦えないなら引退、そしてその後は種付けして良い二世を作らせる)。
まぁ、何と言われようがかまいません。
今まで頂いた教育費はお返ししますよ。




以上は最悪の場合にたいする私の指針であって、今はまだ、複数ある夢の岐路にも立っていない。しかしこうして全ての可能性を検証することが今の自分には非常に大切なことなのである。(しかし、それをするには遅すぎている!)


つづく。