【萬物相】日本人の「迷惑をかけて申し訳ない」(11/2:朝鮮日報)

他人に迷惑をかけることは、日本人が社会生活で最もタブー視していることのひとつだ。他人に面倒をかけ、気を使わせ、煩わせることは全てこれに該当する。

 幼稚園の時から教育の第一目標は「人に迷惑をかけない子どもにすること」だ。ある人が雪崩に遭い渓谷で遭難し、辛くも救助された。この人が最初に言った言葉は「助けてくれて感謝する」ではなく「迷惑をかけて申し訳ない」だった。

 イラク武装勢力に拉致された日本人の香田証生さんが殺害されたという連絡を受けた家族が「迷惑をかけて申し訳ない」という談話を伝えた。

 どのような事情があろうとも、家族が非業の死を遂げたのに、これほど冷静でいられるのだろうかと驚かされた。

死んでも他人に迷惑をかけないという心の底には、他人が迷惑をかけるのも絶対に容認できないという考えがある。これが日本という共同体を維持する人間関係のルールだ。

 自分の感情を自由に噴出でき、人の考えにも自由に干渉できる韓国ではなかなか見られない風景だ。

私も、人に迷惑をかけるなと散々言われて育ってきた。今もその意識が無意識にあるが、韓国人に近い考え方を志向している(だから無理やり意識していないとすぐに卑屈さが出てくる)。迷惑をかけたのは家族ではなく本人なのだから、本人が謝るべきで(といっても死んでいる場合は不可能だが)、家族が謝るものではない、背負うべきではない、ましてや『金閣寺』のように迷惑をかけた息子のかわりに母親が自殺なんてするもんではない。
何が悪いかって、世間が、家族や親に謝罪をすることを期待し要求する見えない圧力、が問題であって。謝らないと、罪の意識が無いなんていわれる。「子は親を見て育つ」とか「親の顔をみてみたいものだ」とよく言われるように親子一体というか、子は親の所有物的な発想がここにある。そして、そういう考え方だから、つまり親が犯罪の元凶を産んだんだからと、罪を犯した人が謝るよりも、親が謝っている姿を見て、やっと謝罪の意を見たという気になるのでしょう。親が謝って当然というながらも、そこには悪意すら感じる。
恐ろしい。親の子を愛する気持ちというのを見せたら、バカだ、世間知らずだと言われてしまうのだろう。
申し訳なく思っている態度を見ないと気がすまない世間の要望に沿うように、紋切り型の謝辞を述べ、決して自分の心を現すことを許されない日本は、あわれな国だと思う。