またまた「日記」を書く
家族に関する規範、つまり
に疑いを持つ私はもう「恋愛」なんてできない。
これによって失ったものは多い、かもしれない。
しかし、これらの規範を一つ一つ点検しながら、自分の中で自分のものとして消化していった、この大学4年間で得られた物、人はなんとしても失うわけには行かない(それほどに希少で貴重だから)。
私は社会に言葉で、行動で、この凝り固まった性別役割分業意識に基づくこれらのイデオロギーに働きかける。例えば、色々な人(男女とも)に好きだよと易々と言ってのけるのは、こういったイデオロギーを揺るがしたいがためだということに、最近気づいた。好きだと思ったから素直にそう言う(これは嘘偽り無い)と、それに戸惑う相手がいて、もう私の言葉を存在をシャットダウンしようとしている。でも悪女じゃないですから。あなたの中にある、その、中核となる、イデオロギーを揺さぶりたいから。
でも、相手にとってはふって湧いた迷惑である。
揺るがすどころか、単にわずらわしいだけである。
ごめんなさい。もうしないよ。
どうせ外からの働きかけでは変わらないことだから。
押し付けほど醜いものは無いから。