性的行為の政治学

インターコース―性的行為の政治学

インターコース―性的行為の政治学

本当に本当に面白い。様々な文学作品における性的行為の政治性を解明している。
いまだ曖昧にしか認識できない性的な部分に対して、これは言葉を与えた。

たとえば、私が人(男女誰でも)に何気なく触れられるだけでも、どきどきしてしまう理由とか。(Ⅱ皮膚の喪失 (安部公房『他人の顔』『砂の女』『箱男』) P65-84)

安部の作品世界で、触れることによって知るという能力は、人間経験の皮相部分ではなく、本質的なものである、触れることは、知性や論理にとって替わる、認識の中心的な一形態である、それにとって替われるものは何もなく、それと同等に重要なものも、何一つ存在しない。
(略)
触れることは、人間である意味そのものなのだ。安部の言明によれば、それはさらに、人間であることは何なのか知る方法、他者や世界や、自己の外側にあるあらゆるものや、自分と同じく人間である自分以外のあらゆる人間を知る方法でもある。触れることは、人間の知識のみならず、人間共同体の基盤である。(P57-58)

つまり、他人と一定の距離感を保ち必要以上に接触をしようとしない私にとって皮膚と皮膚との接触というのは、接触によって触れた部分が融解し、その瞬間にあまりにも無防備で素直な相手の感情が衝撃的に流れ込むということであり、それが驚きと同時に恥ずかしさを感じさせたといえるのだ。

そのほかにも、自分の意図しない/している性的な部分が言明化され、かな〜り興味深い。自分の性的な部分に対しても、そこに孕む政治性にも。
また、時間があったら、自分のセクシュアリティや性的なものを分析してみたい。