わたくしの性別なんて…

私、実は男なんです、といったらどれくらい信じるのかな。
あいやー。
それよりも、私実は女なんです、というほうが意味深かしら。
エログみたいに乳とか尻とか出してみたりね。

あら。
性別なんて
どっちだっていい?
(´・ェ・`)
…そう。
それもそうね。


ただ、言葉を信じてくれればいいのよ。
私が誰であろうとも。
私が実際に何をどのように感じていようとも、言語外にあふれ出す、とは、限らない。
私は読み手に私であることを押し付けない。
私も読み手が誰であることを想定しない。
私のリアルは置かれた言葉とその存在にあるのであって、あなたのリアルもそこにある。



閑話休題



ブログ…
あなたが言うようにそれが本当に手の付けようのないカオスだとしても
日本中、世界中の人が自分のことを書き連ね始めたこの事態を、見過ごすわけにはいかないじゃない?


単刀直入に行って、ちょっと筋を話しただけで指導教官でもないあなたに突然「テーマ変えなさい」なんて大きなお(ry私が自分の過去の傷を癒すための研究を無意識的に行っていると言いますが、いつ無意識を調べたのですか。カウンセラーですか?妄想はよしてください。ブログ研究に興味を持った実際のエピソードを話してと無理強いし、私は「あえて言うなら」と、数年前のちょっとショックだった事例を仕方なく出したら、ほら来たと細木数子ばりに喜びながら食って掛かってきましたね。驚きましたよ。それが私の傷だ、私はその傷を癒すためにブログ研究を行っている、何ですかそりゃ。入院当初考えていた男女別学研究は、確かに、男女別学を擁護したい気持ちが有りましたよ。しかも、それはよくない、と分かりながらね。こうした、「傷を癒す」研究をしようとした私だから言うけれど、今回は違うと断言できる。そして本人がそうだと自覚しているのだから、それでいいじゃないですか。どうして他人に自分の動機まで定義されなくちゃならないのでしょうか。偏見もよしてください。私は先生を尊敬をしていますが、そのような感情的な指導には従いたくありません。