中絶も避妊もない「カトリックの町」

http://d.hatena.ne.jp/kmizusawa/20060313/p2 より知りました。
http://www.cnn.co.jp/usa/CNN200603120002.html

フロリダ州ネープルズ(AP) 厳格なローマ・カトリック教会の戒律に従い、中絶手術を受ける病院も、ポルノ雑誌を売る店もない町――。米実業家がフロリダ州に建設を進める新たな町「アベ・マリア」をめぐり、地元では賛否両論が巻き起こっている。

これを聞いてアメリカ合衆国の「Amish」を思い出した。

アミッシュはヨーロッパで起こったプロテスタントキリスト教の一派で、1700年代前半にペンシルベニア州東部に殖民したそう。1800年半ば、伝統を重視する「旧秩序はアミッシュ(Old Order Amish)」とそうでないグループとに分離。旧秩序派アミッシュは、伝統的戒律を守りつつ社旗にも政治的にも孤立したコミュニティーを形成し、近代的なアメリカ文明を拒否する生活を送っている。現在では、アミッシュという言葉はこの旧秩序派アミッシュを意味するのが一般的である。

このアミッシュの完結したコミュニティの性質を知る上で、有名なのが信仰の自由を根拠として就学義務を免れるかどうかが争われた「ウィスコンシン州ヨーダー事件」がある。アミッシュは、子供が州で規定されている16歳までの義務教育を拒否して、8学年が終了した後、まだ16歳に達していないのにもかかわらず、以後いかなる法律上容認されている学校に就学させることを拒否した。ウィスコンシン州は義務教育法違反を理由として被告らを起訴したが、信仰の自由を重視して、合衆国最高裁判所ウィスコンシン州の上訴を棄却する判決を下した。
ここで興味深いのは、アミッシュは、アメリカ合衆国において少数しか存在しないということで、この集団の利益を保護したとしても、アメリカ社会全体に与える影響はごく小さいとしていること、また、アミッシュの独自の教育システムの存在が、親が教育を放棄しているわけではないことを考慮して、アミッシュの就学義務の免除を求める訴訟においてその自由を認めていること。


「アベ・マリア」という町については、避妊も中絶も認めないということと、女性の人権を害することのない社会システムや社会規範やモラルなどがワンセットになっているとすれば、認めざるを得ないのだろうか。街中から性的な者が排除されることが、民主主義に反していることではないという共通の理解があれば、いいのだろうか。生殖に結びつかないあらゆる性的なものを隠すことが、かえって性的な言説や対象の増殖、家庭内の性暴力につながるのではないかしら。(といっても、別の町から中絶や避妊の手段は買えるし、ポルノも買えるし)。


さてさて。
googleちゃんで検索したら、アミッシュにおいては、宗教の自由によって国の目が届きにくいからか、許しを請うという宗教上の信念により罰則が非常に軽いからか、また被害者に逃げるという選択肢が考え付きにくいからか、近親相姦や虐待などがまかり通っているという記事(アメリカで思う人権ロースクールな毎日」と、その中のリンクをちらり。"THE GENTLE PEOPLE"「Lrgal Affairs」)を読んだ。町の法、家族の法が強すぎて、何をしても良い状態になっている。恐ろしい。「アベ・マリア」も非常に厳格なキリスト教。同様の方向へと進む可能性はあるだろうね。