「情報化社会論は社会のしくみの問題を技術の問題にすりかえている」

AI的アナロジー(技術が進歩すれば社会も進歩する)を使って情報技術と社会の関係を強引に技術決定論へと読み替えてきた情報化社会論は、技術予測の名を借りた未来社会の展望のみで、社会の仕組みの問題が不問のままである、情報化社会が空虚なものと化していると批判。
この罠から得た教訓

  • 身近で具体的な技術を扱うこと
  • 社会的なコンテキストに目を配ること
  • わからないことはわからないということ

が必要ということ。
これは、情報化社会論に限らず、学問に限らず、対象を考えるにあたって必要な考えだとおもう。アナロジーではなく、論理的な考察を行うこと。たとえ結果が間違っていたとしてもその考察は一つの思考実験として十分に面白い。きちんと考えることをせずに、予測できないものを予測してはいけない。そして、もしも「○○になってほしい」と述べたければ、自分自身の願望として真正面からそう語るべきであるということ。望むということは、その方向を選択しているのであって、そのことを正面から認め、責任を持たなければならない。それをせずに、自分の選択を他の事物のせいにする責任回避の姿勢は問題だ。


う?なんだかこれって恋愛にも似ていない?ひゃ。
類推、予測、願望で罠にとらわれ、責任回避で深みにはまる。
惑わす魅力にご用心。