「私の結婚という主観的な意見」

「私の○○」として、主観的に語ってみるのも悪くない。From "I".

フェミの悪い癖かもしれないけど、私は、結婚には「幻想」がある。それは、「悪い幻想」であり、現実にはいろいろな結婚生活が存在している中の偏見であって大変失礼なことだし、反省すべきものだと思っている。しかし少なくとも、政治的に自分が納得いかないのは事実だし、これは私の意見なので、違う意見の方がいらっしゃってもかまわないけど、それぞれの意見として尊重してほしいと思う。決して、既婚者の方を否定しているわけでも、結婚賛成派の方を非難しているわけでもない。つまり、自分が結婚するなら、自分の人生なんだから、そういう悪い幻想の中の結婚の道筋をたどりたくないというだけのこと。甘いとか社会を知らないとか、言われるかもしれないけど、それぞれ人には生き方があるのだから、私は自分の信念でそう思っているというだけ。
(中略)
とりあえず昔ながらの「フェミニストは結婚について悪く言う」的文章と思われるかもしれないけれど、今私が言ってることは、既婚者の方の否定でも、結婚全否定でもなく、私の結婚という主観的な意見でしかないです。ついでに言うと、結婚という問題は、実はそこまで非現実なものでもないのもホンネです。自分の中のどこかで、このまま結婚でもしてしまおうかなあ、誰かにリードしてもらいたいなあ、とか思う気持ちもあるけれど、そのような「女らしい」欲望って、ウラを返せば結局は相手に「リードしろ」といってることだし、自分が楽したいだけのことなので、それって人間としてどうかという気持ちがある。それが納得済みの相互の契約ならいいけれど、二人の関係の中の「男らしい」願望も「女らしい」願望も、結局は自分本位のものでしかないと思う。それよりも、私は、まず親友としての関係、人間同士の関係になれないと、どういう形であれ長い期間を一緒に過ごす相手にはしたくないと思う。と言いつついろいろ矛盾もあるけど。
(中略)
お互い「言わなくてもわかってくれる」みたいな関係が人間として好ましい関係だとは私は思えない。それってただ自分の中にある相手の幻想を押し付け合って、依存し合う関係でしかないと思う。自分という存在は自分でも全ては把握できないくらい日々変化しているのだから、それを他人が何も話さずに理解できるなんていうのは、ましてやそれを愛だなんていうのは大変おこがましいと思う。お互い話し合える関係ではないと、人格を尊重した関係にはなれないと思う。もちろん、そうじゃない考えの方はそれぞれに思っておいたらいいと思うので、私のことを愛を知らない可愛そうな人だなんて失礼なことは思わないで欲しいです。

「(たぶん)結婚しません!」『ハレンチ・フェミニズム外伝』 より)

言っていることは大体「同感」*1なので自分では書きません。

そして、タイトル「(たぶん)結婚しません!」の”(たぶん)”は絶妙で、たとえ「女らしい」願望も「自分本位」ならば、選択する可能性もあるというところを残している、とも言えます(その際には対象の読み替え、再定義が行われたりしているのでしょうが)。この、不条理な対象を否定や拒絶をするよりも、違和感を感じつつも未来の自分を信じて可能性を残しておきたいと思うことは*2、私の認識しているフェミニスト的な性質であり、好ましいと感じている部分です。
そういえば、恋愛・結婚ネタは、恋愛依存症みたいな私の学部時代以来久しく書くほどの問題意識もなかったし、そもそもの関心すら遠のいていましたが、こうしてフェミニストの主体的な社会とのあれこれを読んでいるうちに、やっぱり社会や慣習に対する違和感は違和感として認識し、自分がどうありたいかに忠実にならねばいけないと思いました。「『実践するフェミニズム』を体現したい」と思っていたかつての青い、しかし決して冷めることのない日々が懐かしいと思うことのないようにと、再び。

*1:こういう直感的な共感ができるのは、同じような経験を重ねてきたから(→そして、フェミニストへ成長(笑))でしょうか。フェミニストはマイノリティとは決して思いませんが、確かに共感されにくいところで、共感できる人間がいるというのは、単純に嬉しいというか、ほっとするものです。

*2:「可能性」ということで余談ですが、id:noon75さんに「ツンツンフェミ」と呼ばれて、この名称で呼ばれるということはそれほど悪いものでもないと思ったのでした(私は、profileに書いたとおり、これまで「フェミニスト」とは名乗っていないのです)。それは、決して悪い意味で言われたわけではなかったからかもしれませんが。あるいは、「ツンツン」に気をとられすぎたからかもしれませんが。なぜしっくりきたのか、現在解明中です。