引用すれば私の文。

ネットはあらゆるものをつなげ、ネットの結節点は無数の可能性みあふれる。
常に開放を待っているそれは、リンクや引用という形で行われ
あなたの考えは、私のものであり
私の考えは、あなたのものとなる。
たとえテキストが誤読されたとしても
誤読は新たなテキスト、新たな思考の誕生の機会なのであり
テキストは私の手から離れ、その人のものになる。


ならば、私は誤読、誹謗中傷を恐れない。
わたしのテキストを元にしたあなたのストーリーはあなたのものであり、どのように誤読、誹謗中傷されようと私のテキストはブログに書かれている限り、死ぬことはないのだから。
ただし、ブログはブリコラージュされた存在であり、idで存在する私は、ブログを組み立てる顔のない無名の労働者のようなものであって、私とは、未だ終わらないブログそのものなのである。
その意味においても、私とあなたの境界は不安定であり、
あなたの考えは、私のものであり
私の考えは、あなたのものになるのである。

――以下の文章にエンカレッジされて…

最近はブログにおいてまっとうにものを考える、まっとうに書く、ということの困難をあらためて実感しています。

 しかし私たちは、くだらない誹謗中傷しか能がない連中にも発言する機会が与えられている、という事実を是としなければならないのでしょう。なぜなら私たちが書くことを可能にしているのは、まさにそのようなブロゴスフィアの文法と文体という枠組みであり、誰一人として理解されないかもしれないという恐れに耐えつつ、それでも書いていく、という終わりのない営為にこそ価値があると、私もやはり信じているからです。
セックスなんてくそくらえ - 雲、風景、アジアに関する私信