neko

坂東さんの子猫殺しの話など、とても興味深いのですが、他人の考察を読む時間もありません。(リンク集:http://d.hatena.ne.jp/sirouto2/20060828/p3
日常においてせっかくもにょもにょ考えたので、メモだけ残しておきましょう。

人間が人間の都合により動物を所有しているということそのものが、すでに猫の生の自由を大幅に奪っているのですから、その大前提を問わずして、飼い猫の新しく生まれた生について人間がどうすべきかを猫の視点に立ったり、人間の立場に立ったったりして、あーでもないこーでもないと考えるというのは、議論として不安定で覚束なく思えます。
まず人間が動物を所有するということはどういう意味か吟味したらいかがかと思います。

もしも飼い猫に、生殖機能が残っていたとしても、性交→懐胎→出産→子育て→親世代の死、当然すべてのプロセスにおいて親猫が単独で実行できるわけではなく、必ずどこかで飼い主の手や金銭を必要とするわけですし、生まれた子どももまた、親猫同様に飼い主の所有物となるのです。
つまり、飼い猫に対してまったくの自然状態を提供することはそもそも無理なのであり、いくら飼い猫のことを思ったとしてもそのことを考えれば、「猫は○○したいのだ。だから△△だ。」といった話せない猫を利用した飼い主の自己正当化は、発言に根拠がないばかりか、命を預かる者として見苦しいです。
そうではなく、飼い主は飼い主となったからには所有者としての責任を負えばよい、このことに尽くされると思います。当然限界もあるでしょうし、それも含めて引き受ければよいと思います。
避妊手術がいいのか、子猫を殺すのかいいのか、私は猫を飼っていないので判断しかねますが、猫を飼っている人の間でも意見が分かれるくらいなのですから、人間が動物を所有するということにおける、動物に対する支配の範囲は非常に曖昧なものなのでしょうね。そこに程度の違いはあるのでしょうが、私は倫理学など知らないので、これくらいにしておきます。

似ているなと思ったのは、家父長制における男性の女性所有。女が姦通を働いたら殺していいかどうかなど、すべて所有者側の都合によって、所有される側の生命が決定する。生命が所有されるとは、死を含めて所有される、そういうことのように思います。