ウェブにおいて、人は属性。

とある女性のブログが閉鎖しました。それは彼女の本位ではありません。
アグレッシブで、キュートで、フェミニンで。しかも、賢くて、頑張り屋さんで、社会と社会のシステムの間で自分のことのように他人のことについて思いをめぐらすような、そんなブロガーのブログが、今日はひとつなくなりました。

男の女に対する支配の欲望が、何にも縛られない彼女に、制裁を加えようとしたのです。
確かに、2ch的煽りには成功したかもしれません。
そのあり方は、理不尽に批判されている側の反論する意思を損なわせるものであり、究極的には何も痛い目を見ることなく、相手をブログの閉鎖まで追い込むことが可能なものだからです。

しかし
私の目に映る男たちは、哀れなものでした。
彼女の服が、彼女の属性にそぐわない、不真面目だと、子どものようにわがままを言い出し、
女性がこれまで口を噤んでいた性的な話を聞いて、どんな男でも主導権を握ることのできた性的な領域が、公的な領域同様、女に取って代わられるのではいかと、恐怖を感じているのです。
また、バーチャルな彼女へ批判ができないからと、彼女のリアルを持ち出してバーチャルな彼女を批判するということ、その愚かしさに気づいていません。

男たちが、落ち着いていられないのは、自由と強さと頭のよさを兼ね備えたこの女性が、男にとって脅威を与えない女イメージとかけ離れていたからなのでしょう。
男たちそれぞれが、彼女と自身とを比較して、言いえぬ不安を感じたのでしょう。
女を敵にしてまで連帯しなければ不安な状態に彼らはいるのでしょう。
しかし、感情に対して言葉を持たない男たちは、たとえ連帯しても、不快感の理由を知りえず、この分からさからストレスとなるのでしょうね。
ストレスを発散に煽りたくとも、不快感を言語化して提示できないから、彼女の言葉をコピー&ペーストして繰り返しているのでしょうね。

そして
彼女のブログが閉鎖してしまった後、彼らは何も彼女に手出しできないでしょう。
鬼の首をとったように喜ぶ彼らは、しかし、ブログが閉鎖した今や、手の中には惨めな自分の言葉のみが残っていることに気づくのでしょう。
酷いを通り越して、かわいそうでしょうがないです。


ブログなんて、いつでも終わることができます。
彼女のブログがなくなって、ひとつ楽しみが減ってしまいましたが
私は、さびしいけれど さびしくないのです。
ブログのアナタは増幅も消去も可能なネットの産物であり、アナタは唯一の存在としてネット以外のどこかで生きているのだから。