位置と地位
タイトルが初めての回文です。てへ。
タイトルくだらない分、内容もくだらないものとなっております。
チダ家では、私が物心つくころから、そうですね、6歳くらいからでしょうか、食事の際の家族の座席位置が変わっていません。
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| キ | _祖父_ |
| ッ | | | |
| チ |父| |祖母 |
| ン | | | 居間 |
| |母| |次女 |
| | |___| |
| 長女=私 |
|入り口|__________________|
誰が誰の前に座っているかを考えると
- 上座に祖父、それに対面する(下座に座る)孫(長女)
- 父親は自分の母親である祖母の前
- 次女は母親の前
誰が誰の隣に座っているかを考えると
- 祖父を中心に見ると、父−祖父−祖母 :すなわち親子<父方>
- 長女を中心に見ると、母−長女−次女 :すなわち親子<母方?>
祖父をスタートとして両脇を見ると
- 左方向:祖父→父→母
- 右方向:祖父→祖母→次女
その他の情報
- テーブルの両端に座る二人は、対立関係にあると聞いたことがあるが、実際にそうである。
- キッチンに行きやすいのは、母と長女である。
- 父は座席や身体の大きさの関係上、キッチンに行くには、母をどかさねば行けない。
以上から考察すると(自明すぎてばからしいけどね)、上座にある祖父が家父長的となり、家族内で地位の低いものほど下手に座る。
嫁である母親は、祖父から100度に位置し、さらに祖父側にいる父親の身体が母の視界を邪魔するため、祖父の視線、あるいは、祖父が視野に入ることを逃れられる。
妹においては、祖母が隣にいるということ、そして父母が常に妹に視線をやることができるということで、緊張した食卓の雰囲気をほぐすような役割にある。
妹のような役割を担おうともしない、ただ挑発的な存在である私は、祖父の前に座り、緊張した状況を観察している。
これより、場所と権威(厳密に言うと、演じられることが期待されている役割に伴う権威。構成員がそれぞれ役割を演じることで相互に相手の役割を期待するような定められた権威。)は関係していると結びたいところですが、最近、父親が「(私が)テーブルの端っこにいるのがかわいそうだから、座席を変えようか」と言い出しました。もちろん私は、余計なことしなくていいと全力で反対したのですが、父親はあっけにとられていました。父親の場合は、座席と権威の関係については無頓着であることが分かります。役割によって、異なるのですね。やっぱりねという感じです。
ちょうど読んでいた本に
高い地位は伝統的にテリトリー・コントロールと結びついてきたが、社会的権威を育んでいるのは、「テリトリー」それ自体ではなく、それに伝統的に伴ってきた情報コントロールである。
ジョシュア・メイロウイッツ(安川一・高山啓子・上谷香陽訳)『場所感の喪失(上)』新曜社,2003,p140.
とあったのですが、私はこのことを経験的に理解しました。
例のチダ家の食卓ですが、私の家では食事中にTVを見てはいけないという掟があります。その理由はだれも説明などしませんが、会話や食事に集中し、家族団らんしなさいということだと思います(会話なんてしていないのに)。
この掟、定めたのも、食事が始まる前にTVの音に気づいて率先して「うるさい!」と怒鳴りながら電源をきるのも、祖父なのです。祖父は、主という役割を維持し、家の雰囲気、秩序を守るために、外部の電子メディアを遮断したのです。まさに、メイロウイッツが言う「情報コントロール」を行っていたことがわかります。ってすごいことでもなんでもないのですが、本書の該当箇所を読みながら、学はないが人望だけはある祖父にささげたくて、この日記を書いたのでした。