マスメディアとウーマンリブ

ウーマンリブでは、「女に忠実に」なろうと自己肯定を目的とした。そして、それを思想的に突き詰めた結果の行動が、女性役割(妻、母、主婦)幻想の否定、結婚制度の否定、性の解放などであった。決して男並みになるのが目的ではない。
しかし、メディアはウーマンリブの思想については全く触れず、運動のみを取り上げ面白いものとして取り上げた。きちんとウーマンリブが報道されなかった理由は

〓メディアが社会運動を敬遠
〓男性のゲートキーパー(編集者)が「女の話題」として無視
〓イベントではなくイシュウを強調する女性運動は報道の基準にあわず、運動側も記者を敵対していた

からだ。

そのため、新奇なこと、娯楽性、「絵になる」というニュース価値基準にあった初期のセンセーショナルな報道のみが流され、まじめな議論がなされなかったという。


うーーーー、あのう、ここまで書いたんだけど、眠すぎて考えられないので寝ます…。また朝にかくよ。


::::おはようございます。もう11時か…。慢性的な眼不足はまだ解消できないけど、まあいいや::::


ウーマンリブらの思想自体、当時(70年代初頭)では奇異だったわけだから、まあ、識者が語っててもまともに取り扱ってはくれなかったと思う。新聞だって、いかがなものか。
それに学生運動などの政治運動の流れに便乗したことは運動を起こすのに好都合だったかもしれないけれど、語られる内容なんか聞いてくれないよね。それに内容自体「家」に関するものばかりが大半で「個人的なことは政治的である」*1といえども、「男化しようとしている」とか「ヒステリー」と思われるよ。しかも、感情的に高ぶった女たちがわめいちゃってるんだもん。当然だなーと思う。
あと、エリート女とブルーカラー女の女同士の対立も見苦しく写ったんではないかな。

でも、運動すること自体に価値があるというけど、こんなウーマンリブだって、性役割に対して大きな打撃を与えたわけで(特に男の母役割信仰に)。具体的な結果を求める運動じゃないから無意味に思えるだけで。不平不満は言っても何も動かずに差別の構造に手を貸すよりはいいと思った。
おつかれさま。

【参考文献】
「日本のメディアと女性運動の展開」
「21世紀家族へ」落合恵美子 ISBN:4641182949

*1:「私的な人間関係男女関係の隅々にまで権力の問題が付きまとっていること」を表す言葉。女性解放運動のもっとも急進的で重要な考えを凝縮している言葉。1960年代後半にアメリカで広がる。