現代日本の政治思想

今日は第3章から第6章まで。
前回に引き続き、何度も国民の主体のなさとその構造の問題性についての言及が出てくる。
「国体」に全体的価値が置かれるあまり、それが解体された8/15以降は一切のよりどころがなくなってしまう。そしてファシズムの思想は中央集中力に欠くがために各地に離散する。帝国主義ファシズムの質的な変化はないが、量的変化がもたらされた。ということは、再びこのファシズムが外部による要請によって集結しえるということだが、もし、それが起こったならば、その時はかつての旧帝日本の権威は持ちえずかつてのそれではない。また、かつてと同様に溝に水が流れるがごとくファシズム化するといえる。しかして、国民から自立的、主体的に起こらないナショナリズムナショナリズムと呼べるのか。
うる覚えだぁあああ)