授業がつまらない

つまらない。
もう、私の講座関係、興味関係の授業は聞きたくない。つまらない。聞くべきことはもう聞いた。

生活科学部の傾向は、学生が生活における個々の社会問題、その問題性に気づくことに授業の重点を置いているため、その問題構造を理詰めで迫ってゆく授業はほとんどないように思える。

問題、問題って、カルチュアーセンターですか、ここは。
DV問題、男女の賃金格差の問題、家父長制日本社会のもたらす性別役割の問題、介護問題、などなど。
問題の羅列はしても、その骨格部分での比較に達していないから、全く異なる問題原因、問題部分を持っているにもかかわらず、同一の項でくくってしまう。
『これも問題。まだこんな差別があるんですよ。信じられませんね。驚きですね。』て。
その乱暴さにいらいらする。
それに感心している学生を見るのもいらいらする。


ジェンダー(の授業)やだ。
教職やだ*1
政治OK*2

大学院に希望を持つわけではないけれど、退屈な学部の授業を聞かなくて良いのかと思うと、心躍る。

そうそう、
問題といえばこんな言葉がある。
「ひとびとが社会問題とみなす問題が、社会問題である」
自分の道徳や価値から離れて社会問題を定義することはできない。社会学者の任務は、全ての道徳価値から離れ、社会問題をめぐる相互行為のプロセスの記述に専念することである。

*1:家庭科は、生活における事象、問題を取り上げて、生徒に気づかせる、考えさせることが目的。

*2:構造を捕らえる勉強が主だから。たとえ構造が理念だとしても、知らないよりは知っているほうが、問題を鳥瞰できるようになれる。自分よがりにならないはず。けれど、うちの大学には政治ができる教授は私のゼミの教授だけなの…