家族・私有財産・国家の起源

出版社: 新日本出版社 ; ISBN:4406026681 ; (1999/07)

1章「家族」を読んだ。
きっとこの章が基本骨格だと思う。
この章では、婚姻の発生起源を原始からさかのぼって考察する。

女系家族から始まった家族(子の父親は特定不可能ゆえ、合理的な判断方法だ)。集団婚(家族同士の夫婦関係的な紐帯といったらよいかしら)。農耕時代になると、財産を所有するのはその生産を担う夫(夫は女系家族として見なされない)ゆえ、夫が死んだ後にその財産はその女系家族には継承されない。そこで、その財産を手に入れて、自分の子どもたち(子どもたちは女系に含まれる)に残したい!と考えた女は、やすやすと女系家族から男系家族に変更した。このことが、隷属的な婚姻関係の始まりといっていいかもしれない。
この後は、奴隷と同様に妻を所有物とみなすようになるばかり。一夫一婦制が進む。(妻にとっての一夫一婦制!結局は夫は他に女がいても許される立場にある。また、売春が公然と生じる。)
婚姻を契約とみなすような時代になっても、それは実質、契約とはいえない契約。自由で平等な両者による契約という前提あれども、実際は問われないのだから。しかし、こうして自由な契約とはいっても、やはり婚姻は打算でしかない。婚姻は経済的目的のために行われる。面識のない人と結婚なんて珍しいものではない。では、恋愛はどこにあるのかというと、恋愛は騎士道にある。つまり不倫に。一方ブルジョアジーと違って経済問題の絡まないプロレタリアートには恋愛結婚が可能であったようだ。
というわけで、エンゲルス曰く、経済的な打算がなくなったならば、結婚を成立ならしめるものは、双方の愛にしかない、そうだ。経済的に自立した男女からなる婚姻は、解消も恋愛(結婚後は友愛になるのかな)の賞味期限と一緒なのだから、合理的。完全なる一夫一婦制がすんで、売春もなくなるよ、ってさ(それは安易なような気がするけれど)。

そうなると、結婚の意味がないのではないか、と思う(打算を必要としないものがこの社会を構成するなんてありえない話だけれど、あえてエンゲルスの想定した条件で考えるならば)。さらに、エンゲルス共産主義的社会を構想する。このような自由な婚姻関係のもとでは、子どもは社会の子として養育されるのだという。
うーん。やっぱり婚姻の重要性が低くなってゆくような…。

とにかく、ここで学んだことは
財産は力なり。
ってことね。
男は財産で力を、他の様々な階級の元となる原始的階級(男と女)を作り出した。
だから、女性が主体性のある人生を送るには、資本主義社会における女性の私的領域への幽閉から、自ら脱しなくてはならないと思う。
そうさ、自分でやらなくちゃ。

※それにしても、今から100年以上前から「女性の地位の向上」を述べるエンゲルスちゃんはすごいなぁと関心する。