ベーベルの「婦人論」、結構面白い。

母系から父系に変化した結果、正妻は「子を産む道具、家に番する忠実な番犬」にすぎず、一方で主人(夫)は外に自由に出て勝手気ままに暮らしていた。
「遊妾は快楽のために、妾は日々の身の回りの世話のために、正妻は嫡出の子を生み、家庭のなかの忠実な番犬となるために存在する」[『デモステネス伝』1386ページ]
このように、母系継承の支配下では知られなかった売春が始まったのだ。
そしてここが面白いのだが、売春と遊郭制度の必要性への弁護がギリシア時代も現在もまったく変わらないのだ。

下記は、デイクテリオン(国営の遊郭)を設置したソロンに対する賛辞の言葉である

ソロンを賞めたたえよう!あなたは市の平安のために、たくましい若者にみちみちている市の風紀のために、娼婦を買ったのだから。その若者たちは、このかしこい制度がなかったなら、良家の子女のうるさいつけまわしにふけったであろうから。

もしも女が行ったら重罪になることを、男の世界については国家が法律によって自然の権利として認めているのだ。

ここまで男女の関係に変化がおきなかったというのは、どういうことなのだろう。