記憶を辿る

自己形成とジェンダーを巡る記憶について考察するのに、有効とされている調査方法の一つにメモリーワークという方法がある。と、こんな名前がついているとたいそうな調査法のように思えるけれど、いやいや、単に過去の自分に関する出来事を思い出して記述するだけ。
記憶と自己形成の関係について何かしら心理学とかそういった内面に関する根拠があるのだろうけれど、私は専門ではないのでよくわからない。

しかし、記憶は信頼できるのだろうか。
記憶というものは以下の二つの理由により決して過去の事実とは等しくない、ということに注意すべきではなかろうか。
一つ目としては、記憶は自分にとっての記憶であるということ。
二つ目は、記憶は現在のフィルターを通して見られているので、回想する時期が変われば本人の心身や環境や時代の変化を受けて、記憶の位置づけが異なるものになるというここと。

たとえば従軍慰安婦問題で、元従軍慰安婦の人の証言が実際の事実と一致していなかったり、話すたびに話が変化していくということが上げられる。


と、ここまではメモリーワークに曖昧さに疑問を感じ、それほどの有用性を感じていなかったのだけれど、今ふと思ったことは、

もしかすると、メモリーワークとは、その変化の変移を含めて考察することに意義があるのかということ。その記憶の変形に作用する力について、抑圧者と記憶と当事者の関係について考察することにジェンダー分析の意義があるのかしら。

モリーワークでそのような分析をしている論文があるのならば、見てみたい。