買売春と法制度

買売春に関する法制度は現在、4種ある。
〓売春を犯罪として取り締まる処罰主義
〓売春は必要だが、社会秩序のために一定の法の網をかける規制主義
〓売春の根絶を目指す廃止主義
〓セックス・ワーカーとして労働する保障を求めるための非犯罪化の要求

でも、
さあ、この4つの中でどれが一番良いかな?という問題じゃないんだ。
これらどれもが少しどこか一方的な見かたをしているのだよ。

買売春を問題にする観点を大きく三つに分類すると、
第一に道徳的な問題として議論する立場(処罰主義と被害者なき犯罪論)
第二に公衆衛生の問題と見なす立場(従来の規制主義)
第三に女性の権利の問題として議論する立場(廃止主義とセックス・ワーク論)
となる。

■道徳論
売春は道徳的に許されない⇒1.犯罪として処罰すべき(処罰主義)2.法は道徳と峻別されるべきなので介入しない「被害者なき犯罪」
(特徴)ジェンダーを問題にしていない。法的に男女平等。ゆえに、生の二重基準*1を維持する社会の問題を問うことなく、ジェンダーを固定化する。

■公衆衛生
買売春が現実に存在し、なくならない以上法の役割は買売春を公認し、できるだけ社会の悪影響、とりわけ公衆衛生上の問題を解決することだとされる規制主義は、現実的な対応として支持されている。道徳主義的発想も含む。
(特徴)買春男性を公認・奨励するため性の二重基準を維持・強化する。(買売春は必要悪、公衆衛生は男性に確保されるもの、買春を特定の地域に限定することで買春、買春女性を取り締まりの対象とみなす。)

■権利
○廃止主義
19世紀後半以降売春女性の奴隷的拘束と人身売買を問題にした女性運動は、制奴隷制の廃止を掲げ、性業者を処罰することを提起したことに端を発する。日本の売春防止法(1956年)は胚珠主義を採用している。
(特徴)処罰の対象を性業者とし、売春女性を、道徳的観点による犯罪者像や、公衆衛生上から要請される特殊化された労働者像ではなく、奴隷状態にある被害者として把握。法の役目は女性を搾取・人身売買する性業者を取り締まること。故に、「単純売春」は処罰の対象ではない。また、業者を取り締まることで女性から生計労働の場を奪うことになってしまうため、「婦人保護」政策をとったのだが『更生』『社会的補導』といった飛行者への処分といった発想を孕んでいた。

○セックス・ワーク論
1970年代当時、廃止主義が国際的にも主流だったところに、セックスワーカー運動が登場。廃止主義が女性を被害者とするなど、売春女性を固定化するのに対して、こちらは「労働者」像を提起した。性の自己決定権を巡る女性運動によって触発されて登場したこの運動だ。
(特徴)売春の非犯罪化を主張し、処罰主義、規制主義、胚珠主義のいずれも売春女性を犯罪者・非行者としていることを批判する。
廃止主義は売春は自己決定されるべき選択では無いという、道徳主義に基づく売春女性蔑視間に基づいているとし、廃止主義は『良い女性』から『悪い女性』をなくすための社会浄化運動ではないか?と考える。
しかし、セックス・ワーカー運動も性の二重基準を打破するものではない。このように女性同士を2タイプに分断・差別することは、男性の生活堂が活発であることを社会通念として確保することになる。その結果、男性と女性との関係について、男性の性行動について、性業者の問題には無自覚的である。



とまあ、いずれの観点も売春における男女関係、ジェンダーに無感覚であるように思えるのだ。
法的な解釈では限界がある、権利の主張だけでは偏りがある。
社会に連なるジェンダーの構造にもっと自覚的にならなくては、いつまでたっても部分的な補修工事にしかならないよ。

*1:男性は積極的であり、女性は受動的であるという固定的な性的特徴論にもとづいて、男性の性行動は奔放であるのもやむをえないが、女性は貞淑でなければならない、とする社会通念のこと。