別学支持者/共学支持者、アンチフェミニスト/フェミニスト
共学と別学についてWEBで読めるだけ読んでみた。
そこで思ったことを一つ。
フェミニズムというものや人に出会うと過剰反応、過剰防衛しようとする人がなんて多いのだろう、といつも思うのだが、男女別学/共学論においても同様のことが言える。
別学と共学のそれぞれの特徴についてや、男女平等と機会の平等についえ考えるのではなく、それぞれに属する人の特性(この議論において常に現れてくるステレオタイプ)についての善し悪しが議論の主軸となってしまっている。
これは地方自治体における男女参画推進委員会などにおける議論や、参考委員として発言を求められる識者(カウンセラーや教授ら)の発言にも見られることだ。
どうして、こう熱くなってしまうのか。
こういった性に関する問題は<自分>とは切り離せないものだ。だから、議論するうちに議論への非難が自分への非難であるように感じるのだろう。フェミニストに対する心無い非難の言葉は、その本人自体を否定することに向かっているのだが、この非難のやり方はそのことを明確に示している。
さてさて、私は高校、大学と女子校を自ら選択し、フェミニストで別学の存在意義を認めているのだが、この私に対してはアンチフェミニストの方はどう接してくれるのだろう。
だから、困難なのだよね。
自分から切り離して物事を考える、人と人との関係という『間』から物事を見る、そうありたいよ。