【ゼミゼミ】男女別学と実質的平等

男女別学が男女差別かそれとも男女平等かどうかを考えるに当たって、まず、「法の下の平等」という原則の指す平等とは何かを考える必要がある。基本的なことだが、法の下の平等の解釈の仕方は二つあり、ひとつが機会の平等をもって平等とする形式的平等、もう一つが結果の平等をもって平等とする実質的平等。二つの平等の捉え方があるけれど、実際には折衷案を採用するのが現代の主流。というわけで、形式的平等と実質的平等、二つの側面から男女別学について考えてきた。で、前回は前者の形式的平等から考察を得たわけであるよ。そして今日は後者、実質的平等から考察をしてみようと思う。といっても、実は昨日、今日とだらだら遊んでいたので何もしていないのだけれど…。ゼミのための試行錯誤の場所にしようと思うので、間違いなどがありましたら指摘を宜しくお願いします。
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さて、私がこのゼミ論を考えるに当たって常に批判の対象として参照している書物*1があるのだけれど、そこでは男女別学における実質的平等の側面についてほとんど考察されていない。ただ、一つだけこのことについて考えるきっかけを与えることがある。それは、「障害児別学」である。障害児教育の考え方には、ひとつに「養護学校等において障害児が特別に必要としている教育を効率的に実施するというやり方」、もう一つには「ノーマライゼーションという言葉に代表されるように、障害児も普通学校で健常児とともに学ぶべきであるという考え方」*2がある。前者が実質的平等の立場なのだが、障害児教育の場合は、健常者との分離が合理的な差別として積極的に認められる可能性が高い*3。特別な教育に対して専門的な指導をできるということや、整備の行き届かない普通学校が数多くあること、そして利用者からのニーズがあるということを考えれば、障害児別学が果たす役目は大きいと考える。こうした差異の存在を考慮した適切な環境での教育の実現のための区別というものは、合理的理由が存在するとして許容されるのだ。
では、この例と比較して、男女別学の場合はどうだろうか。男女で分けることによって一方の(又は両方の)性に教育における何らかのメリットが存在するのだろうか、共学で満たされないニーズが供給されるのだろうか。これについて厳密に考えなくてはいけない。曖昧な規範意識や、慣習、伝統や歴史への特別な想いによって、判断している議論が多すぎる。どのように分析するかは、ゼミ論の段階では何とも決めることができないと思うので、またの機会にしたいと思う。

*1:坂田仰『学校・法・社会 ―教育問題の法的検討―』学事出版

*2:同上 62項

*3:ノーマライゼーションの考えからいうと疑義をはさまずにはいられないかもしれないが…