とある中学生の公民の授業

http://www.jiyuu-shikan.org/teachers/hattori/0311.html

すごい洗脳の方法だ。
ジェンダーフリーが社会的に構築されたということの批判意見として科学根拠を持ち出すのは定説であるけれども、この授業はとくにすごい。
子どもたちの科学に対する無批判性をうまく利用して男女の性差、それに基づく役割分業を各々の経験や知識を元に内面化させ、強固な確信へと導いている。
選択の余地を与えているようで完全に答えを誘導しているのだ。それを気づかせないテクニック、さすが教師。
と、感心している場合ではない。

身体的な、本質的な違いを科学的根拠によって確認したうえで、その性質が確認できる野性的、本能的社会である原始時代を想像させることにより、より男女の違いについての「余計な」理解を確かなものにする。
科学と歴史の相乗効果。

なんと人は「自然」やそれを数字的に明示する「科学」というものや言葉に弱いのだろうか。
歴史は人が作ったものでしょう?
それは「自然」では無く人工的、後天的、社会的なもののはずなのに、歴史の上に成り立つ現在を「自然」とみなす乱暴さに、私は慎重でありたいと思う。