rei harakami

レイ・ハラカミのブログ「レーハラカミの『ふれあい押し問答』」
http://blog.excite.co.jp/reihrkm

私の学生寮時代、最もよく聞いていたのがレイハラカミ(特に『red curb』)。音の一粒一粒が光ったり、膨張したり、反転したりして、私はその音の広がりの中に自分を置くことを非常に好んだものだった。けど、最近は余り聞かない(当時の悶々としたイメージ、寂しげな風景が想起されて切なくなるからね)。
私がレイハラカミの曲に没頭したのは、曲の性質に加えて、もう一つ重要な要素があった。それは、その頃、レイハラカミは表立って活動はしていなく、私の手に入るわずかな情報からでは、作曲者が一体どんな人なのか、どんな姿なのか、どんな声なのか、全く分かり得なかったということだ。だから、レイハラカミの曲は、彼の曲というよりは、自分の曲のように思っている。自分の曲だから、レイハラカミそのものはにそれほど興味関心を寄せることはなかった。
ところが、最近、レイ・ハラカミのブログができたという!
確かに、嬉しかったよ。作っている人が身近になるような気がして。でも、それと同時に、知りたくもなかった。現実を知ることで曲と私の内面的な関係が壊れてしまうのが嫌だったから。
そんな、対立する感情を持ちながら、ここ数日ブログを読んでいたのだけど、うん、今日の記事を読んで、読んでよかったなと思った。とても落ち着いた文章はそれだけでも好感を持てるのだけど、それ以上に聞き手(読み手)を意識していること、他者による客観的な評価を重視していること、でもそれと同時に、絶対的な良さはないことを知っていること、だから常に『良い曲』を目指していること、それがよくわかった。

何が良いのかなんて、結局理由なんてないんですから。っていつも思います。
理由を考えたい人はどんどん考えていただければ嬉しいです。でもね。完璧に言語化出来るもんであれば、それは音楽になんてしなくて良いんだと思うんですけどね。

いつも思う事ですが、『良い曲』を作ろうとして、『良い曲』が出来るのであれば世の中で誰も苦労しませんよ。ハラカミは常にそう思っております。

何が『良いか』に理由がない、何が『良いか』なんて分からない。つまり、それは聞き手次第ということ。私がレイハラカミの曲に没頭できたのは、曲がそういうスタンスにあることからかもしれない。曲同様、レイハラカミも好きかも。