自動車保険と被害者の女(私)

5月17日の自転車と乗用車の衝突事故。今も東京海上日動とやりあい中。


そもそも警察の調書からして間違っていたかもしれないが、ほんのわずかでも自分に非があることを認めてしまっている状況説明はしないほうがいい。たとえ、嘘をついても、刑事事件に発展しない事件なのだから、それくらいしていいと思う。というか、したほうがいい*1
でないと、被害者として得られるはずの補償が得られなくなってしまいかねない。

さらに、私が「女」であり、「子ども」(22歳は充分に子ども)ということが、余計に事を悪くする。少なくとも感情的になるまいと要求をしてきたし、相手も私の要求を呑む形で丁重に電話を切るが、その要望が通ったためしがない。結局私の発言は、完全になめられているということ。

この1ヶ月間、こうして何の音沙汰のない保険会社に対して、私が電話で処理の進行状況を聞き、対応を迫るということを繰り返していたのだが、あちらからが行ったのは、おとといになって突然文書で決定事項を送りつけてきたということだけだ。これですのでハンコを押してくださいって、よくもまぁいえたものだと呆れる。
書面には、この内容について「相談をいたしました」と書かれているが、一体何のことだろう。こちらは担当者とこの書面にある内容について相談したことも、説明をされたことすっらないのだが。しかし、以前から担当者が提示してきた自転車の補償は、嘘だったのか?嘘ならば、私はその言葉に騙されて自転車を購入したことになるのだが。その点についてはどうなのだ?と疑問な点があまりにも多い。

元々、私がしつこく保険会社任せにせずに追求する必要があったのかもしれない。
しかし、それと同時に、被害者が被害者として安心して補償を受けられるようなサービスのはずなのに、どうしてこんなに戦闘体制で構えていなくちゃいけないのだろうという、不可解な気持ちをぬぐいきれない。

明日、どのように査定を行ったのかを問い詰め、慰謝料は払われるが、物質的な損害(自転車破壊、通学の手段が立たれたことによる電車通学による損害)に対しては支払われない理由についてきちんと説明してもらわなくては。

電話代も払わせる、くらい頑張ってみよう。

*1:警察は自転車にも非があるという偏見を持っているため、事情調書では自動的にその流れにのせられてしまう。「わたしはスピードをおとして左右を確認した」が「わたしはとまって左右を確認しなかった」ということになる。たしかに後者は事実としては正しいが、「左右を確認した」という事実については否定をしているという点で正しくない