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あまり非モテとか喪の話は不毛すぎて好きではないのですが、ちょっと気になった一文があったので載せておこうと思います。
こういう“誰が真の「非モテ」か?”“「非モテ」の条件とは?”みたいな話って、あまり真剣にやるとマイノリティ同士の分断を誘って、何も変えずにマイノリティを面白がりたいマジョリティの思う壺って感じがするので、あくまでもネタとして言うのだが、私は「非モテ」は「お付き合い」(一対一の男女交際(死語?)、両思い、デート…)をしたことがない人でかつ「都合のいいときの女役割」ですら求められない、たとえば「女子は弁当作って来い」というルールがあって作っていっても誰も食べてくれないとか、そーゆー扱いをされてしまう人のことではないだろうかと思っている。セックスまで行ってるかどうかってのはある意味どうでもいい。
(強調はchidarinnによる)「*最近AERAでオタク関連の記事が多いような気がするのは」(10/4)『kmizusawaの日記』より
そうなんだよ。
セックスに力点を置きすぎなんだよ、ねぇAERAのライター。
真性の喪女というのは、「チャンスがあってもセックスできない」人で
あるのですよ。最近、私は気づきました。
「喪女」の定義は「セックスをしていない」なのです。
そしたら、喪女、結構居るべさ。一時的も含めて。
ある人の現状を、それがあたかもその人の特性とかその人の性格であるかのように定義する仕方は、あまりにも雑で差別的な見方です。
「なぜモテないのか」「誰が非モテなのか」を定義したいという欲求からいたるところで定義が行われているように感じるのですが、それらの行為は、非モテとモテとの間にあるはずのない境界線をこつこつと築いていることになるのではないかしら。
それらは、モテないことをカミングアウトしたことの現象としての重要さを意識するのとは、正反対の方向に向かっていて、そういう意味からやっぱりこの議論は好ましくないと思うのです。