フェミニズムと言語理論

フェミニズムと言語理論

フェミニズムと言語理論

面白い。
昨日読んだイーグルトンが生きてくるわけですよ。ふふふ。

フェミニズムにおける言語分析は既存の文学理論、言語理論に従って行う必要性はないし、そもそもこれらの理論は非常に重要なファクターである「コミュニケーション」を欠いた無味乾燥な理論である。
言語と抑圧に関するフェミニスト理論の発展を、これまでのフェミニズム言語におけるフェミニストの三つの公理「言語的決定論」「男の言語支配」「女の言語からの疎外」を全て否定し、それらに対応した新しい提案、すなわち「統合的言語論」やメタ言語的・ディスコース的過程に注目する。
そして、言語的実践とフェミニストの戦略、すなわちフェミニストの言語理論(言語と性を①言語とジェンダーアイデンティティの関係②言語と女の抑圧の関係という異なる二つの方法で関連付ける理論)から有益な対話を行うならば、あらゆるフェミニスト言語理論家は4つの問題(言語といった場合女は何を話し、女の言語は何を意味し、言語と現実の関係、言語と話し手(主に女)の立場との関係)について答える必要がある。
そして、どんなフェミニストの言語理論も、言語と抑圧、言語と女の不利な立場は何らかの形で関連しているということを前提としているが、それは決して用いる言語のせいではない。フェミニストにとって完全な話し方や書き方は存在しない。しかし、言語の使い方を変えること、すなわち「急進的ディスコース」が、たえず権力関係を再生産するようなメタ言語的実践に対して絶えず疑問を投げかけ、さらに意味の固定性に意義を唱え、意識的な意志ある行為によって言語使用をかえることになるだろう。そしてそれが、言語に支配され抑圧されねばならないという有害な信念をも破壊することが期待できるのである。