記憶と記述に増幅されるイメージ

ある対象に対しての、これまで抱いていた感情や印象についての記憶や記述をたどることによって、その対象へのイメージが増幅されることがある。

果たしてわたしはその実感を信じて判断して良いのだろうか。
それとも、改めて記憶を一掃して(つまり客観的に。もしも客観性があるとしたらだが。)対象に臨むべきなのか。

また、記憶が喚起されても特定のイメージ増幅されない場合、つまり私の対象を認識するためのコードが時間の経過によって変化した場合、最初のイメージに固執したい理由がなければ、多くの人は変更が加えられたイメージを優先させるのではないだろうか。
そしてその場合は、記憶から喚起される最新のイメージを信じるという点で、今の自分の認識に価値を置く点で、冒頭に述べたイメージが増幅される場合とかわりないと思う。