I先生から指摘された点を強化する週間。

閉じつつ開かれる世界―メディア研究の方法序説

閉じつつ開かれる世界―メディア研究の方法序説

ぱらぱらと読んだけど面白いと思う。
私が言葉に出来なかったこと、<現実社会>と<仮想社会>と両者を行き来する主体の関係性について、それぞれの空間、そしてその境界線を哲学の側から丁寧に検討している。<仮想社会>に対するポストモダン相対主義に、私は違和感(あまにりにもユートピアを志向的な議論へ用いられる傾向にあること、現実社会と仮想社会との間での主体の自己同一性の問題が置き去りにされているのではないかということ)を感じていたが、本著ではそういった仮想社会を現実の問題として捉え、二つの社会の断絶乗り越えるべく立ち居地―ハイデガーが主張した「多元主義的実存論」という主体に対する立ち居地―を得られたことで非常に気分がすっきり。個別のメディア研究に取り掛かる前に読んでおいてよかった。よかった。
ただし、私は哲学をほとんど知らない。
ハイデガーフッサールジジェクなどの哲学学んで再読すること必須。
しかしまぁ。これが修士論文を下敷きにしてかかれたものだというのだから、本当にすごい。





(追記)
この本はアマゾンのマーケットプレイスで購入しました。マーケットプレイスは(当然なことなのですが)個人や法人が出店しているもので、そこには必ず人が介在しているのですが、購入に伴うブラウザというインターフェイスを通じた購入手続き、メールというメディアの使用を通じた注文確認・商品出荷のお知らせによって、ネットという仮想空間の内外にいるはずの他者が全く見えなくなっていました。
ちょうど、この本を購入したとき、そのことに気づいたのです。面白いですね。
いつもは殆ど読まないマーケットプレイスからの注文確認のメールですが、偶然この本の出品者からのメールを読んだところ、通常記載される内容が終わっても文章は続き、全く別の内容、つまりジェンダー関係のブログの作者ですかか?という、次元を一気にこちら側(日常)に引き戻すような記述があったのでした。メールに問いかけられたことに驚くなんて、冷静に考えれば人はあちらにいて生活しているのだから当然ブログだって見ている可能性はあるはずなのですが、ほんとうに、他者というものを忘れていると、それはそれは不思議な気分でした。近いようで、感覚的に遠い遠い隔たりがあるにもかかかわらず、よく呼びかけてくださったなぁと思います。小話でした。