慈悲を求めるその手を振り解く

chidarinnよ、男を挑発してはいけない。


男は弱い。
男はあさましい。
男は臆病者である。

 
女たちよ、男の醜さを暴き立てるのはやめてもらえないか。
(セックスなんてくそくらえ - レット・アス・痴漢・ラプソディ)

OK。それは、とても簡単なことよ。
「男」は、「女」を作り出さなければいいの。
欲望されるだけの、見られるだけの、サブジェクトとしての「女」を。
男は、フロイト的な性的アイデンティティに関する物語を、盲目的に信じ込み、それに合致する女を(社会的に)作り出したことが、失敗だったのよ。
だから、その罪を背負いなさい。
そのいやらしいその目で、女を、しっかりと見なさい。
目を閉じるなど、許さないから。
しかし、
フェミニズムの功労むなしく
それが果たされないのならば、、
私は、これからも、男を理解し、男を哀れみ、男を憎み、そして挑発する。
私は、「女を見る男を見る」。
そうすることによって、「男は女を見るが、女は見られている自分を見る」*1ことを、つまり、男のまなざしの対象として差し出されるのを回避することができるから。
許すこともなく、責めることもなく
ずっと見ていてあげる。
愛のないこの目に晒されなさい。

*1:1960年代 英国の美術評論家ジョン・バーガーの言葉