フェミニズムを右手に 欲望を左手に

そういえば、最近の論文指導にて、教授に「あなた、フェミニズムはどうしたの?」と言われた。
おお。シスターフッド
Thanks for Feminism. 私は何をしていたの?
別になんてことは無い。飽きてしまっただけ。理論と現実のはざまで右往左往しているうちに、何も無い空間に吹っ飛ばされたような、そんな無重力感覚。暖簾に腕押し。ぬかに釘。
何かを新しく学ぶということの純粋な感動が、フェミニズムの側からはめっきり無くなってしまい、残ったのは単なるツールに成り果てた学問としてのフェミニズム。さらに言えば、それは今もなお「私の」フェミニズムとは相容れず、不安定で、でも自信があって、自己主張が激しくて、あまりにも「私の」にはしっくりいかない言葉だらけだ。フェミニズムジェンダー論のお決まりの文句を使えば、ジェンダー的イシューが無くても、最近良くある社会学系の単著の末項にて言い訳っぽくフェミニズムに言及するような感覚で、なんとなく論文がかけてしまうように思えてならない。

なので、思考を変えようかしらね。と思うのですよ。

先日までよくわからんと思っていた「消費フェミニズム」という、荷宮和子の「フェミニズムのようなもの」は、なかなか面白いのではないかと思う。
現在をフェミニズムの「第三派」とは言えないばかりか*1今もなお「80年代フェミニズム」のまま、80年代ですら実態とずれてましたけど?という、80年代の雰囲気を全体的にとらえている私だからいえるのよ!という当事者ぶりで言ってみるのも、また面白いと思う。学問じゃないけども学問に入り込めなかった側の女性から学問に立ち向かってみるのもまたフェミニズム

(続く)

*1:第二派フェミニズムを基準として、第一波が名づけられたのであるとすれば、現在を第三派といっていいものか、それほどの区切りのある動きをしていないのではないか、と私は思う。現に第三派と言い切る教授はうちにはいない。現在は第二波の延長線上にある。