キーボードが私の思考を規定する。文才の有無ではない。
キーボードのeが出ません。
eを頻繁に使うのためなのか、基盤が磨耗し、反応しなくなりました。
すぐに修理が出来ないので、そのままの状態で色々と工夫しています。
まぁ、日本語入力に切り変えれば被害は「い」1音のみになりますが、今から日本語入力は無理なので、英語入力のままで危機を乗り越えようと思います。
方法は以下を使用します。
- 根本的に、eを押さないように頑張る。あ、ちなみに、このeは「イー」と打ち、変換するとでるのですよ。
- 漢字をだす場合は、音読みで出す。単語ならば分割する。
- 平仮名の場合や音読みのみの漢字の場合は非常に難しいです。
- Ex.1)「で」の場合:「出(しゅつ)」と入力後、「出」を変換して「で」にする。
- Ex.2) WORDを立ち上げ、「特殊文字入力」や「手書き入力」をする。
- Ex.3) 他の文書類からcopy & pasteをする。
- Ex.4) 無理やり英語を使用する。
- Ex.5) 音読みのみの漢字→2段階で頑張る場合:「霊」の場合なら、「令(りょう)」を出し、文字を選択し変換をかけ、「令(れい)」に読みを変換、その一覧から「霊」を出す。
このように、類まれな努力をし、このように日記を書いているわけなのです。
正直、このようなキーボードで文章を書きたくありません。論文も無理です。
書きにくさにより、思考が迂回、停止します。
私の文章、執筆意欲が、これほどにキーボードに依存していたとは、気づきませんでした。
バーチャルな文字はキーボードで書く(タブレットもありますが今はおいといて)、当然のことを言っているのですが、このような障害がもたらした思考様式にも及ぶ斬新な体検により、改めてキーボードという機械が単なる思考の媒介物ではない、それ以上のものと思えてならないのです。
と、まぁ。80年代のサイバーパンクのような、おおげさなことを思ってます(笑)。