ヴァーチャルのリアリティがもたらす、リアルのリアリティについて

id:umetenさんが、リアル(オフライン)で対話することについての相も変わらない信念*1に対して、3つの困難性を指摘しています。

  1. そもそも全人格的な交流は不可能
  2. オフ会という、ネットのリアリティがオフラインのそれに先行している場合、人格の全面ではなく一部が期待されているということ。
  3. FtoFでは「声の大きいものが勝つパワーゲーム」に終始するため、すべての参加者が充実した時間を得ることが期待できないこと。

で、

「オフ会なんてリアルじゃない!」

と。私もそう思います。コメント欄でumetenさんが「まあ、そもそも「コミュニケーション」自体がバーチャルだと言ってしまいたいところですが。」おっしゃっていますが、それも含めて同感です。
しかし、一つだけ全く意見が逆なのです。今日は、それが面白かったので、引用させていただきました。というのも、私も1と3には同意、同感なのですが、上記の第二項については私はumetenさんの意見とまったくの正反対なのです。

確かにネットとリアルでは顔が異なるというのは事実なのですが、リアルの知人がネットの私をリアルな私に重ねて読むことが出来るのに対し、ネットのみの知人はネットの私をリアルな私に重ねてくれることは無いからです。私にとっては、ネットの私というのも、リアル(現実味がある)のに。結局フィジカルな身体に宿る主体が本物と解釈されるのでしょう。

多分、umetenさんとの意見の違いは、私がブログ(オンライン)から得られる身体を持たない作者の情報よりもオフラインにおける身体を有する作者から得られる情報に優位性が見出せたとするのに対し、umetenさんは後者よりも前者、つまりオンラインの情報が人々のリアルのリアリティにまで影響を与えていると考えている点にあります。
ヴァーチャルのリアリティについての言及はよくあるのですが、バーチャルのリアリティがリアルのリアリティに及ぼす影響について、この四点セットで捉える考え方をしなくちゃならないなと思いました。ちゃんとヴァーチャルについての先行研究読めばあるのかもしれませんが。探してみよう。

*1:「オフラインのつながりを充実させていくことが大切だと思う」という言葉を受けて(OhmyNews:姜尚中氏が語る『愛国の作法』)