内面は書かない方向でありたい。

やりかけの仕事も手に付かないの3日間*1のぐたぐた状態に終止符を打とうと、いまの心境について「はてなダイアリー」に書こうと思いました。見られることを前提とした文章を書くことは、非常に、混乱した心に良いのです、少なくとも私にとっては。文章を公開するためには読める程度の体裁と内容を備える必要があるということが、周囲が見えない甘えた自分を客観的にとらえる機会を与えてくれるのでしょうね。しかし、今日は、書きたいことを書いているうちに、「これははてなダイアリーでは書けないな」と思ったのです。それだけでなく、「はてなダイアリーにかけないのならば、どこにも書きたくないし、誰にも話もしたくないな」と思ったのですよ。ちょっと笑ってしまいました。なんだそりゃ?でしょう?というのも、ここは「独り言」をするのにもってこいの場所だったのですよ。本当に。だって、自分で自身の問題を認知できず、もちろん話もまとまらないのに、聞いて聞いてって、相手に電話なり対面で押し付けるのは迷惑でしょう?(←自己反省的に)そうではなく、読まれるかどうか分からないけど、ブログ読んでくれたらいいな、というささやかな期待でもっての受身の姿勢、適度な距離感を保てるということが、他者に気を使う必要が無く、でも自分の希望もかなえられそうだということで、喜ばしいわけです。でも、今日は書きたいことをそのまま書くことはできなかったですね。読まれるか読まれないか分からないし〜とかいいながらも、こう読まれたいとか、こう思われたくないとか、読まれるにあたっての様々な思惑があるようで、ここでのペルソナにマッチしていると思われる内容しか基本的には書きたくないわ、と思ってしまうのです。結局のところ、その思惑など関係なく、この困難性について書いていますけれど…。

口承文化はただ単に幾何学的形態、抽象的なカテゴリー化、形式的な意味で論理的な推論過程、定義づけ、包括的な記述や分節化された自己分析でさえも扱うことはしない。こうしたものはどれも単に思考自体から導きだされるといった体のものではない。それはテキストの形をとった思考から生じるものだ。(Ong, 1982)

改めて思います。こんな恥ずかしいことを認めざるを得ません、私は、悩むと書きたくなるようです。書きたくても書かないことの方が大分多いのですよ、UPしないので、わからないと思いますが。しかしまぁ、誰もが同じように何らかのことで悩んだり不安をかんじているのでしょうが、世の中のブログが、悩みばかりで埋め尽くされていなくてよかったなと思います。本当に。

*1:毎日朝寝、昼寝、夜寝。今日は新横浜でTOEFL受けただけ