鉄道模型を捨ててから、夫の様子がおかしい

http://d.hatena.ne.jp/kmizusawa/20060317/p1経由で。
(元:http://www.nyasoku.com/archives/50395674.html


「相手の所有物を勝手に捨ててしまうのはDVの一種なんだよー。」にゃるほど。DVは夫や恋人からの暴力で、被害者は女性だが、その暴力の種類には「身体的暴力」「性的暴力」「心理的暴力」「言葉の暴力」「経済的暴力」「社会的隔離」があるそう。その中の「心理的暴力(無視する・妻の大事にしているものを取ったり壊したりする・「別れるなら殺してやる」「死んでやる」「子供は渡さない」などと言う など)」がこの件(通常のDVの定義する立場関係とは逆ですが)に該当している。


(以下は、kmizusawaさんの「DV案」を元にした私の推測。推測ね。特に括弧の部分)


しかも、この女性、DVを行う男性の性格・心理状況(近代家族のイデオロギー固執、性別役割分業意識強い、嫉妬深い、依存、支配・独占欲、神経過敏、暴力に無自覚など(参考:http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Icho/6614/man.html))と非常に似通った心理状況にあるのではないかと思う。この件の当初、女性は言葉で広がっている鉄道模型の片づけを夫に注意するように促していたが、それに対して抵抗も同意も出来ずにいた夫の様子から考えて、すでにこの男性はこの女性から(この件を中心にだと思うが)、心理的に抑圧されていたのだろう。しかし、いくら言っても反応を示さない夫(抵抗を諦めているのだろうね)を前にして、自分の思い通りに行かないことによる不満を募らせる。こういった屈辱が、目的の達成に向けての欲望を加熱させる。そうして、これは言葉で注意するだけでは対応できないと判断した女性は、「捨てる」という行為(女性の目的を果たすべく究極の方法!)によって、権力を発動した。しかも自分で労働することなく業者を介して、だ。(1)夫に対しても、業者を呼ぶという行為についても、言葉一つで物事を自分の思い通りにできる、しようと考えているところ、そして(2)それは夫が家にいないからこそ(自分が家にいるからこそ)行えることであるとの前提の上で行われたことであると言うことに、個人的に恐ろしく思う。体験的に、だが無意識的に、自身が上位にいられる方法を知っているからだ。つまり、第一に、言葉の優位性を自覚していること。そして第二に、家の中のものを「片付ける」「処分する」という行為は、主婦という立場として至極当然の労働であり、性別役割の遂行はいかなる場合も正当化されるべきであると、少なくとも模型を処分をするに当たって、この女性には認識されている。どんなものであろうとも、彼女にとっては自分の仕事を煩わすゴミなのだ。この二点よりそんな近代家族における性別役割分業意識が実際にどのように内面化されているのか、を垣間見たような気がし、しかもそれがどこでもある(ありうる)ような光景であったため、私は恐ろしく思ったのだ。

模型が捨てられた後、無気力になった夫。それは虐待を受けた子供のようだ。抵抗するのを完全にやめただけでなく、必要最低限以外のもの(本など)を捨てだした。テレビも積極的に見ない。しかし、後者の行為、これは単に投げやりになっているだけでも、無気力になっているからでもないように思う。というのも、彼が何を残したのかが重要で、それらは、妻の期待する夫役割(公的空間での労働)に必要な道具や行為だけなのである。彼は妻に気に入られるようにと、妻好みの夫を自ら形作った、と考えることは出来ないだろうか。虐待を受けて自己を責める子供のように、DVを受けて自分を責める女性のように、模型を注意されるたびに、そして最後には捨てるという暴力が振るわれることで、抵抗できなくなる、抵抗することを放棄する、それは妻を怒らせるのは自分のせいであると虐待やDVを内面化してしまったのではないか。

(追記)この夫婦は共稼ぎだそうです。あと、捨てたのではなくて業者に売ったでした。ごめんちゃい。でも、そうだとしても、私の考えたことには変化はありません。近代家族以前からも所有の問題はあったわけですし、そこに問題を持っていくのはあまりにも枠組みが大きすぎます。