レイプ被害者にレイピスト(レイプ加害者)の子を孕ませることは、レイプ幻想の一種か?

レイプ 3 (芳文社コミックス)

レイプ 3 (芳文社コミックス)

坂東周一『レイプ』(三巻完結)を読んだ。(あらすじ*1
結末に非常に憤慨した。その結末とは、愛しているという理由からレイピストに拘束され続けた(しかしまだ犯されていない)女が、レイピストの連続強姦(女に対する屈折した愛情に起因する)に同情し、そして、レイピストを愛せない自分が拘束されることによって被害者がこれ以上増えることを愁い、レイピストに自分をレイプするよう誘ってこの関係に終止符をうとうとする。女は結局レイプされる。後日、レイピストは自殺し、女はレイピストの子どもを孕むというもの。

この最後の子どもを孕んでいることが分かる部分、とりわけ最後から2ページが問題。最後から2ページ目、彼女の担当医が犯罪に巻き込まれるなどで極度の心的外傷をうけた人は事件に関する忘却が早いということを述べるのだが、最後のページで彼女は、おなかを摩りながら嬉々として、そういう人は愛情がなかったからだと述べる。自分とレイピストの間には愛情があったのである、つまりまだ相手のことなどを忘れていないということを仄めかすのだ。
ここで、レイプ被害者の口から、「愛し合う」という言葉が出てくること、そして、その結晶かのように表象される「胎児」(しかし、絵的には生々しく描写されていて、まるでエイリアンである)を主体的に、そして喜んで宿していることの意味は、たとえ、被害者が精神的に破綻していることによる発言や行為からだとしても、違和感を持たざるを得ない。というのも、「レイプ」の結末を飾る描写として、「愛」と「胎児」と「母の微笑み」という表象の記号が選択された理由を考えれると、女性は、死んだレイピストの罪を許し、レイピスト生まれ代わりかのような新たな生命(あくまでエイリアンみたいな)を宿す聖母としての表象、つまり愛情に飢えたかわいそうなレイピストの救済としてこのページが割かれたと考えることができる、というか、そうとしか読めないからである。私には。
もしも、彼女が長期的な恐怖によって気が狂ったからだとしても、この選択はおかしいのである。というのも彼女には彼女を大切に思う兄もいるわけであって、当然そんな子どもを生ませるはずはないからだ。また、気が狂っていないのならば、単純に、自分や他の女性を苦しめた犯罪者の子どもを宿す気持ちにはならないはず。そこまで忘却できるのだとしたら、愛情という記憶も同様に忘却されるはずである。が、残念ながら、拘束されている最中にレイピストに愛情を抱いているシーンは一度も出てこない。
また、胎児にはその親がどうであったかなど関係なく生きる権利があるとしても、まず、女性のリプロのほうが先であるし、単純に、本文中で「愛していた」という綺麗な言葉を登場させる必要もない。
「愛」と「胎児」と「母の微笑み」の三点セットは、相互にひきつけあって、レイプを受けるべく受動的な存在を、受動性を主体的に選択しているかのように表現することができる。つまり、ここから類推すれば、レイプされる受動性を、子どもを生むという行為によって主体的に肯定していると言い換えることができる。

私は、こんなに酷い結末を見たことがない。
でも、もしかしたら、私の考えすぎかもしれないし、妄想かもしれない。
このマンガを読んだことのある人と、最後の部分についてお話してみたいのですが、いかがでしょう?



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強姦の歴史

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*1:汚れのない絶対的な愛情を求めるレイピストは、彼が理想とする女性を探し出してはストーカーを行う。しかし、彼女らのうちに理想に反した行為(たとえば性的に解放され、女性的な従順さやつつましさに欠けていると判断した行為)を見つけると、早めに芽を摘まなければならない悪=犯しても良い存在として強姦する。ついに純愛の相手として理想の女性を見つけたレイピストは、その女性を監禁する。究極の愛を求め、相手が自分を愛するまでは一切手を出さないものの、当然その思考や拘束は拒絶・抵抗される。そして、その度に、レイピストは思い通りに行かないストレスや激しい憎悪のはけ口として、彼が犯しても良い存在と認識している女性を狙って強姦、さらには殺害をする。逃げぬよう裸にされ、鎖につながれ、すべての行動が監視カメラで監視されているため、日々、男に何をされるのらぬ恐怖から逃げ回るうちに、抵抗する気力を失う。この物語の最終には、女は、真の愛情を求め極端な行動に出てしまうレイピストに対して同情し、また、自分の代わりに強姦、殺害される女性をこれ以上増やさないためにも、自分がレイピストから逃げることをやめ、レイピストに自分を犯すよう申し出る。結局レイプされてしまうのだが、レイピストはそれが真の愛からではなく、人間愛といった同情からによるものであることに苦悩し、自分の家を女と祖母(かつてこの人も祖父に拘束されていた)とともに燃やす。結局、その後、レイピストは自殺。かろうじて助かった女は、レイピストの子どもを宿し、その子どもと共に生きていこうとする。