将来を考えると

20代後半のこの時期が、私の将来を決める最も重要な時期ではないかと、確かなる根拠はないのですがそう思います。

第2新卒」という経験者でも新卒者でもないこの身分は、客観的には「最近の若者はすぐに辞める」「いい加減」という評価をもらいがちです。しかし、当事者になりうる私にとっては何らいい加減なことではなく、自分がやりたかったことを達成するための最後のチャンスだと思っています。

そもそも、誰もがやりたいことを1回の挑戦でやれるわけではなく、また、すぐに再挑戦できる余裕が無い人もいます。また挑戦できる時期が限られている場合もあります。とすれば、その時期を見越して挑戦したとしても、誰が批判できるでしょうか。

人材業界には人材に対して「ポテンシャル」という名の付加価値をつけようとする傾向がありますが、新卒ならともかく、中途人材において「ポテンシャル」を見てもらえるのは「第2新卒」までです。

だから、私は未経験を恐れることなく、20代のうちに自分のやりたいことを目指せばいいのですが。
「20代後半のこの時期が、私の将来を決める最も重要な時期ではないかと、確かなる根拠はないのですがそう思」うゆえに、慎重にならざるを得ず、なかなか歩み出せないでいます。

家の中で充電器が見つからなくて

どこにいったのかなぁと考えているときに「ああ、電話をかけたらいいんだ(置いてある場所が分かる)!」と閃いたのですが、いざ電話をかけようと思ったらどこにかけるんだ?ってことになって、「携帯電話じゃないから鳴らないんだった」と気づいたのでした…。


…文明に慣れるって怖いですね。


でも、「トレーサビリティ」なんていう考えがあるくらいだし、モノに着信機能をつけるというのもアリなお話かもしれません。
例えば、WILLCOMW-SIM入で実現、とか。
実際、モノに通信機能を付与させた事例として、くまのぬいぐるみにW-SIMを入れた電話、「くまふぉん」もあることですしね。
http://plusd.itmedia.co.jp/mobile/articles/0808/25/news070.html
…可愛い。
最近、間近で見る機会がありましたが、値段は5万5千円だったとは…



文明といえば。
最近お気に入りのサイト。
http://www.antics.jp/
どこまでもアナログで保守的な質感の作品や映像ばかりを制作、収集しているのに、なぜかアバンギャルド
講談社文庫殺人事件のCMはすごい。
今では放送倫理に引っかかりそうです。

長所と短所を述べるのは苦手です。

「長所と短所を教えてください」
採用面接や入試などで頻繁にされる質問ですが、最近、それ以外の場所で自分の「長所と短所」を聞かれることがありました。
社内で行われる役員面談においてです。
これまでの採用面接などでは、初対面の人に向かって自分のことを矛盾無く説明するだけでよかったのですが、今回は初対面ではない人が相手…。とりあえず、自分を振り返って長所と短所を述べてみたのです。
確か、長所は「困難があっても前向きに取り組み、乗り越えるまで諦めない」、短所は「気を使いすぎる」でした。
すると、役員は「それは間違っている」と言うわけです。そして、これがお前の長所だと、別の長所「クリエイティブな提案を容易にできる」を指摘しました。確かに、私は企画書を用いた営業が得意ですので役員の指摘も間違っていはいないのですが、私はそれを認めたくはありません。なぜなら、私のクリエイティブな提案は、お客様や社内について本気で考えた結果に生まれた提案だからです。クリエイティブだから良い提案が出来たわけではありません。気持ちが先です。そして私の仕事はどう考えても製品やサービスを売る「営業」ですし、製品やサービスそのものを生み出すようなクリエイティブな仕事ではありません。長所が「クリエイティブ」だなんて、恥ずかしくて言えないわけです。
一方、自分の考えた「前向き」や「諦めない」という長所に対しては、「お前は前向きではない」と全否定されてしまいました。いつもネガティブだし、暗い、のだそうです。確かに私は批判的に物事を考えます。しかし、それはよりよい状態を目指すために必要不可欠なのであり、批判後には課題に対処し、成果を出すわけです。これが私が考える前向きさです。おそらく、役員にとって、彼らが社員にもとめる「従順な兵隊」が前向きな人間像なのかもしれません。


つまり、「長所と短所を教えてください」という質問は、正直に答えるの必要は無く、相手が抱いている私へのイメージ、あるいは私に求めるスキル通り「長所」と「短所」を述べればいい、質問とは言えない質問なのです。これはおそらく、初対面の人に対してこれを述べるときも同じだと思います。暗い雰囲気があると察知されたら、「長所は明るいこと」とか「誰とでも仲良くなれること」など言ってはいけないのです。
「長所と短所を教えてください」
この質問は、なんのための質問なのでしょうね。

学問コンプレックスは今も尚

入社当時、
「大学院生っぽくないね」
と社内外で言われるたびに、大学院生に偏見を持っている人の鼻を明かしたと、嬉しく思ったものです。

今では
「大学院生っぽくないね」
と言われると複雑な気持ちになります。
なぜなら、大学院生らしい特徴が"学問においては"全くといっていいほど無いからです。

実際、昨日「リベラリズムって何?」と社内で聞かれて、適当にお茶を濁してしまいました。
それは、まず私には学問についての知識が無いからです。また、政治的立ち居地においても「左」「ラディカリズム」に傾向していた以前の私からは考えられないほど、そういったものに無自覚になっているからです。全くといっていいほど、社会に対して無垢な状態です。

でも、ひとつだけ「それはそれでよかった」、と思うことがあります。
それは、私は学問、思想を自己正当化の目的に使用することが無くなったからです。
学問、思想が自己を正当化してくれるものではないことを、つまり外的な要因によって自分の行動の言い訳はできないことを、社会に出て初めて身をもって体感したからです。今頃そんなことに気づいたのか?と笑われても仕方ないです。私はそれだけ弱い人間でした。正しいことは、全て、アカデミックの中にある、わけではありません。でも、私は、学生時代はずっとそう思いたかったのです。そして、つい最近、その呪縛からやっと解放されました。

こうして、社会に出て、呪縛がとけ、私は自らの自尊心を他者からの承認(=学問)を得ることなく、自分で作り上げる他なくなりました。あまりにも低い自尊心、自己愛は、様々な形で「他(者)のせいにする」ことで辛うじて維持され、それと同時に、人を傷つけ、人に迷惑をかけました。苦悩の日々が続きました。


さて、最近頻繁に"私の問題は、すべて私の性格に起因する"ということを、社内で言われ、そしてそのための取り組みが行われます。
今ではその考えに「反抗しません」。自分で自分の言動の責任を引き受けることの重さ、そして自己をコントロールし全てを自己の手におさめることの難しさを感じながらも、見るはずの無かったものを「見せてもらえる」ことに「マゾヒスティックに」期待をしています。

18切符の旅 養老・金沢

社会人でかつ正社員にもかかわらず、大学院時代に比べて預金が5分の1に減っている私は、仕方なく18切符を使って4日間の旅行に出かけました。使った金額は切符代金を含めて3万円。目的は2点に絞られているので、おいしいものを食べられなくても、ほとんどの時間を移動に費やしてもそれほどの苦労はありませんでした。



【目的1 岐阜県養老市の養老天命反転地 】
HP http://www.yoro-park.com/j/rev/

現代美術家荒川修作と、パートナーで詩人のマドリン・ギンズのプロジェクトを実現したテーマパークです。」

いわゆる体感できるアートというものですが、具体的には楕円形のおわん状の土地の中に、平衡感覚を失ってしまいそうな家らしからぬ家や家具、そして木々が配置されている、という大きな作品です。

「ここでは、予想もつかなかった風景や懐かしい風景、いろいろな出来事に出会うことになるでしょう。はじめて体験する世界で、新しい自分を発見できるかもしれません。」

なるほど。確かに、おわん状の土地の内部に入る前は「なんだ、やりたい放題の公園だなぁ」「たいして広くないなぁ」と作品を「評価」していましたが、実際に作品の内部に入ってその一部になってみると、自分の存在の小ささや、いかに自分の感覚が主観に基づくものであるかなど「自己に向き合う」ものでした。

ちなみに、HPにはこうした体験を「しやすく」するための「使用法」http://www.yoro-park.com/j/rev/use001.htmlなるページがあります。私はこのページを読まず、そしてもちろん「使用法」どおりに体験しませんでしたが、使用法に近いことを自然とやってのけ、十分に楽しむことができました。おそらく、私は(また、ほかのオーディエンスもだと思いますが)本能的に(あまり本能などと言いたくありませんが、このような体験はしたことがなく、体験的・経験的にとは言い難いので)どのように見て感じる「べきか」がわかっているからです。ポストモダニズムの芸術が作者のコンセプトありき、あるいはオーディエンスに解釈をゆだねるのに対して、この作品は若干異なります。オーディエンスの解釈にゆだねますが、それは作品のコンテクストの中でではなく、オーディエンスのコンテクストの中に見出させるからです。自分の経験や記憶を想起させるという別の鑑賞法は、「鑑賞」と言えるものではないかもしれませんが、アートとの新たな向き合い方を知ることができました。

とても面白かったです。まぁ、1生に1度しか行かないであろう場所に、半日かけて行ったということも、この感動を増幅させているのですが。


【目的2 ロン・ミュエック展 金沢21世紀美術館
http://www.kanazawa21.jp/
http://www.kanazawa21.jp/exhibit/mueck/index.html

これは3日目に行ったのですが、8月31日までの展覧会なので是非にと思い無理な行程ではありましたが行ってみました。

ロン・ミュエックが目指すのはリアリティではなく、ハイパーリアリティ(WEB用語にもありますが、ここでは現実よりもより現実的な、という意味)。本物らしい質感、重量感は彼のお得意の特殊メイク技術を用い、また圧倒的な存在感を大きさによって表現することで、ハイパーリアリティを達成しようと試みています。確かに、「ガール」と呼ばれる巨大な女の新生児の爪先、皺、皮膚の肉感は、今にも動きだしそうなほどの生命力を感じさせます。私たちがそう思う理由は、実際には樹脂でできた硬い表面に「やわらかそうな皮膚だ」と感じるだけの要素がもちこまれて「リアル」を構築しているからです。また、彼の全35の作品の中で唯一の動物である犬は、「写真で見たことのある犬」を制作したのだそうです。つまり、犬を模造したのではなく、彼のリアルを満たす条件を満たした、ハイパーリアリティとしての犬を表現したのです。(残念ながら金沢には犬の作品はありません)。そのほかにも、人間の構図、骨格のバランスなどは「うまい」とは言い難くアンバランスなのも同様の理由だと思います。


”私にとっての「リアル」”はすなわち「ハイパーリアル」。
どちらがより本物か?
本物とは何か?
WEBの話にも通じる話で、すぐには答えることができません。

フェミとは 『駄フェミ屋。―Outsider Feminism』

大学時代からの知り合いの方から『駄フェミ屋。―Outsider Feminism』という同人誌をいただきました。
(>知り合いの方(あえて匿名) ありがとうございます、後ほどお礼の手紙をお送りいたします)

『駄フェミ屋』
http://dafemi.web.fc2.com/

HP冒頭より

私にとってフェミってこんな感じなんだよ、とブログに書く時と同じように自分の言葉で、分かりやすく楽しくアピール出来る本、『フェミって●●だよね〜』とネガティブに決めつけられそうになった時、いやあ、でも色んな人がいるよ?楽しいことだってたくさんあるよ、これ読んでみて!って渡せる本を一緒に作りませんか?出来たら装丁もおしゃれで手にとりやすいものを目指してます。

最近しょっちゅう、めちゃくちゃフェミだな〜と感じる発言に、『私はフェミニストじゃないけれど』『フェミニストの主張には同意出来ないが』というような意味の但し書きがついてくるのを見て、悲しくなってしまいます。

じゃあ、一体フェミって、フェミニストって何?
吐き出すように侮蔑的に語られるフェミってものすごくネガティブで画一的すよね。

私が遭遇した形容を挙げてみると『不細工で男性にモテなくて女の権利ばかり主張する重箱の隅をつつくようなことを言っている幼稚で恐くてキャンキャンとヒステリックな』。
私は最近、このネガフェミ、誤解なんじゃない?とにらんでいます。
ううむ、そりゃ人間誰しも欠点はあるからネガフェミの嫌項目の一つや二つ、当て嵌まる可能性はあるけれど(実際私はモテません。そして多少しつこい性格です)、でもみんながみんなネガフェミに何もかもぴったり当て嵌まるわけないでしょう。

フェミだって色々あるよ、フェミニストだっていろいろいるよ。
私が思ってるフェミって巷で流布してるイメージのフェミとはちょっと違うよ。

私にとってフェミも、フェミな友人も、フェミである自分もとっても大切だ!
それが分かる本を一緒に作りませんか。


多数の「フェミ」がいて、それがそれぞれであるということ。
それにもかかわらず、その主張を軸として1つの本を生み出したのだということ。
「フェミ」が多様であることを前提としていても、やはりそれを承知の上で一つにまとまる必要性がまだまだあるんだろうね、「フェミ」には。ま、そもそも孤独な闘いを強いるような思想じゃないし。

個人の自己語りで構成される本誌は、コンセプトから構成・表紙デザインまで徹底してフェミニズムで。
読ませる工夫とフェミニズムとは別物だから、構成やデザインはもっと別物でも良かったのかもしれないですね。

この同人誌は、2007年度の大阪府男女共同参画活動事業補助金の対象事業で出版したそう。
現在は、府知事が変わったことにより大阪のドーンセンター(男女共同参画推進センター)が売却されるっていう話が浮上してますが…。
http://www.sukiyanen-dc.com/

人材会社の私、何を売っているのか。

就職情サイト、フリーペーパー、人材紹介、各種人材サービス。

他社に比べて安いとか、お得とか、値段に関する売り文句はいくらでもあるけど、この商売にはどうでもよい。

人事が求めているのは、いかに欲しい人材を、低コスト(採用にかかる人件費、採用した人材の離職のリスクを含む)に抑えて採用できるか。

また、人材が求めているのは、自分の希望する企業に確実に出会えるか、そして内定をもらえるか。

そのための手段が、先に挙げた商品。その商品に顧客の満足をもたらす効果が無くて、なぜ購入、利用する?

口と電話と商品の値段があれば(最近はメール営業もあるのでパソコンもかな)、商品を売ることができるし、安ければトークのスキル無くても売れるだろう。

でも値段が安いということは、こちらの自信のなさの現れであると同時に、料金相応のことしか提起できない、しないこての現れである。

そんな効果が期待できないものに、お金を出すはずがない。

売れないと、高いからかと値段を下げがちだが、すべきことはそうじゃない。サービスの向上。

基本を忘れずに!